2018年1月29日月曜日

「日本の15歳はなぜ学力が高いのか?」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 小中学校の教育はどうあるべきかを論じた驚異的レポートのご紹介です。
 日本の学校で「問題解決能力」向上の教育をしているらしいことを
                                  知っていただきます。
  



ねらい:
 ビジネス社会に出てからの問題解決能力の教育はほとんど要らなくなる
                                 ことを期待しましょう。
 でも当社の問題解決能力向上の研修はなくならないでしょう?


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この書名を見るとその答えが書いてあるように思えますが、
そうではありません。
日本の出版社のズルです。


著者である美人のイギリスの元中学校の先生ルーシー・クレハンさんが
5か国の学校の教育方針・教育方法を2年間に亘って実際に足で調べた
結果のレポートです。


現地の学校の先生にメールで頼み込んで
1か月ほど滞在させてもらって現地の状況を肌で調べたのです。
その意気込みには脱帽です。


しかし、
それぞれの国の教育の実態は1ショットで分かりますが、
各国の学力の差がどこからきているか決めることはできません。
私の苦手な人文科学的アプローチです。


5か国は、カナダ、フィンランド、シンガポール、上海、日本です。
この5か国は、国際学習到達度調査PISAの成績上位国です。


PISAは、15歳児(中等教育終了者)を対象に、
読解力(2000年から実施)、数学リテラシー(2003年から)
科学リテラシー(2009年から)についてのテストを行っています。

当書では、5か国についてそれぞれ3章ずつの記述があります。


日本の場合は、出る杭は打たれる、大同小異、泥棒も10年、
という副題で3章の記述があります。


出る杭は打たれる
  •  「規則に従い、文句は言うな」という教育方針である。
  •  教えるべきは勉強だけではない(生活態度も教える)。
  •  小学校では班単位、中学校ではクラス単位で行動し、
  • その連帯責任が追及される
(上野注:おそらくこのことは著者が滞在先の子供が通っていたのが
  私立であるための特異な状況ではないかと想定されます)


大同小異 内容に対して少しピント外れの副題です。
  著者の言わんとすることは、
  みんなの能力には大きな差がないので
  誰でも努力すればできるようになるのだと、
  日本では思われている、ということのようです。
  • 誰もが成功できる➡誰もが平等で同じ教育を受ける権利がある。
    そのため、クラスの能力別編成はない。
  • 母親が子供の教育に熱心である。

泥棒も10年  この副題は意味不明。
  このことわざは「石の上にも3年」の類義で、
  何ごとも辛抱強く取り組まなければものにならないということですが、
  著者が何についてそう言っているのか定かでありません。
  • 暗記は重要で(漢字や九九)力を入れている。
  • これらの暗記は判断の基礎になる。
  • 中学の数学の授業で、原理を教えた後で応用問題を考えさせるようにしている。
    その際、原理の説明に現実世界の問題を用いるという工夫をしている。
  • 細心に計画した授業の流れに従って、生徒が問題を自力で解くように仕向ける。
  • 生徒たちは、いくつかのステップごとに解決のヒントになるような質問を出され、
目の前にあるテーマの理解に確実に近づいていく。
このような教育方法「問題解決手法」を教えることの意義・有効性について
以下の記述があります。

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一方、もし教師が生徒に数式を記憶させるだけで、
その知識を違う問題に当てはめる機会をまったく与えなかったら、
生徒は、
教わったのとは少し違う手順を踏まなければならない問題に出くわすと、
なかなか解けなくて苦労するだろう。


そして、こういう傾向が日本の教師たちにはある。

日本の学校で「問題解決手法」が一般的になったと言われてから
15年以上経った。


しかし今でも、
あるバーベキューパーティーで話をした小学校の教師は、

「私たちが長いあいだ教わってきた教育システムは、
 教師が一方的に教えるだけの教育でした。
 今はアクティブ・ラーニングを採り入れなければなりませんが、
 それをうまく使える人は多くありません。
 やり方を覚え始めてはいますが、時間がかかっています。
 とくに大阪では」
と語った。


問題解決手法は10年以上も前に確立されたものなどではなく、
教師たちはいまだに身につけようと努力し続けているようだ。


とはいっても、PISAの国際テストにおける
日本の生徒たちの問題解決能力

(「解決の方法がすぐにはわからない問題状況を理解し、問題解決
のために、認知的プロセスにかかわろうとする個人の能力」)

はとくに優れていて、
期待どおりに高得点を取った数学、科学、読解よりも順位が高く、
シンガポール、韓国に次いで世界第3位だった。


上野注:
 PISAでは伝統的な、数学リテラシー、読解力、科学りテラシー以外に
 2012年から「問題解決能力調査」を実施しています。


 2015年には「協力して問題解決する力」を対象にしています。
 この時は全体で2位,OECD加盟国では1位でした。
 この状況は日本経済新聞電子版2017.11.21に詳しく紹介されています。
 
 日本の生徒が、協調性を重視したために不正解となった比率が高かった
 設問があったという興味深い内容がありました。


 私は、
 日本の学校では入学試験対策で暗記型の学習が多い
 という先入観を持っていましたが、
 このような問題解決能力を涵養する教育をどうやってしているのでしょう? 
 ビックリでした。


ひょっとしたら、日本の授業でやらせている問題解決の課題が、
この能力を伸ばしているのかもしれない。


どんな教え方がどんな成果に結びついているのか
正確にはわからないが、
こういう教え方が効果的だということを示す証拠はある。


スティグラーとヒーバートが調査研究の土台として用いた、
1995年のTIMSS (国際数学・理科教育動向調査)のテストでは、
教師たちに、推論問題

(「ある考えの背後にある根拠を説明すること。
  関係を表したり分析したりするために表、図、グラフを用いること。
  解決の方法がすぐにはわからない問題に取り組んだり、
  関係を表すために方程式を用いたりすること」)

を授業でどの程度出すか、という質問をした。


日本の教師たちが報告した頻度はアメリカの教師たちよりも高かった。

また、それぞれの国内での頻度の違いによる生徒の得点差は、
日本では14点、アメリカでは19点だった。


このことは、推論問題を出すことが、ごくわずかながら、
両国の得点差にも影響を与えている可能性を示している。

両国の数学の得点差は約100点で、このタイプの問題を頻繁に
出していた教師の数は、アメリカでは四分の一だった。


日本の授業で出されているこのような推論問題は、
生徒が事前に教わった知識をしっかり身につけさせるために、
それぞれ高度に構築されていて、具体的な目標を定めたうえで
導入されているということを忘れてはならない。


このように構造化されたやり方で用いられる問題解決手法は、
数学で得点を上げるのに効果を発揮するだろうし、
たぶん、もっと全般的な問題解決のスキルにも有効だろう。
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上野注:日本の一般的な中学校で
こういう教育方法をとっているということを知りませんでした。
本当なのでしょうか?


泥棒も10年 つづき
  ・教育方法の進歩は、
   教師同士が授業参観する「授業研究」によって実現されている。


  ・ゆとり教育


「泥棒も10年」の最後に「ゆとり教育」について触れています。
これは本質を突いた素晴らしい正論だと思います。


「ゆとり教育」を実施しようとしたときの目的を忘れてしまって、
その目的の達成度を評価せずに
別の観点だけ(PISAの成績)で評価をしたことになります。
日本人は目的追求の弱いということの悲しい証拠です。
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さて、このゆとり教育の影響はどんなものだったのだろう。

苅谷剛彦教授は、1974年から1997年までのあいだに、
学校外で子どもが勉強に費やす平均時間が減少したことを発見した。


これは何より、やる気の問題だという。

「落第点を取らない程度の成績でじゅうぶんだと思うか」
という質問に、「はい」と答える子どもの割合も増加している。

苅谷教授によれば、やる気がこのように低下したのは、
新しいゆとり教育だけのせいではない。


彼は、1990年代の経済状況により雇用機会が減少したせいで、
良い学校に行けば良い仕事に就けるという、
それまで「厳然たる事実」だったものを、
子どもたちが信じられなくなったせいではないかと考えている。


この事態は、労働者層の家庭の子どもたちにいちばん打撃を与えた。

このことは、やる気の減退は貧しい家庭の子どもたちに
いちばん顕著だったという、苅谷教授の第二の発見とも符合する。


しかしゆとり教育の導入は、
この傾向にさらに拍車をかけたと彼は述べている。


苅谷教授によれば、ゆとり教育は、労働者層の子どもたちに、
勉強しなくても大丈夫だという誤った安心感を持たせてしまい、
彼らを就職戦線で、より不利な立場に陥らせたという。


中産階級の家庭の子どもたちは、親のおかげで
(子どもたち自身は親に感謝などしなかっただろうが)、
そのような思い違いはしなかった。


さらに、総合的な学習の時間は、それをしっかり
活用できるようなじゅうぶんな学力のある子どもの方が、
うまく使いこなせた。


当時、このプログラムの評価のために
いろいろな学校を訪れたクリストファー・ビョーク教授は、

 「訪問したどの中学校でも、知的能力に優れ、自主性のある生徒は、
 たいてい総合的な学習の時間を通して成長し、
 時間を賢く使って優れたレポートを提出した。
 その結果、彼らはよくがんばったと褒められた。


 しかし勉強が苦手な子は苦労していた物事をまとめる力や、
 洞察力を使って情報を総合する能力がないので、
 彼らはしばしば、総合的な学習に割り当てられた時間を、
 友だちと遊んだり、落書きをしたり、居眠りをしたりするのに使った」
と述べている。



2003年のPISAの結果が2004年に発表され、
日本の読解力の得点が下がったとわかったときは、大騒ぎになった。


ゆとり教育改革が槍玉に挙げられ、
この時期の子どもたちは少し劣るという意味を込めて
「ゆとり世代」というレッテルを貼られた。


リリーはゆとり世代の一人だが、
このことを思い出すたびに笑っている。


批判に応えて、政府は次第に数学や国語の時間を増やすようになり、
2011年、ゆとり教育改革のほとんどは、元に戻された。

教科書は厚くなり、「総合的な学習」に使われた時間の多くは
他の科目に取って代わられ、縮小された。


PISAの結果が出されるたびに起こる、
このような熱狂の中ではめったに考慮されることはないが、
国際テストにおける日本の成績は
ゆとり教育の導入前から下降気味だった。


それに、2003年の結果は、ほかとくらべてみても、
そう大きな下落ではなかった。


とはいえ、より根本的な問題は、そもそもこの改革が
何をしようとしたものなのかが忘れられてしまった、ということだ。

ゆとり教育は、PISAの得点を上げるためのものではなかった。


子どもたちにかかるプレッシャーを軽減し、
彼らの創造性や問題解決能力を伸ばすためのものだった。


2000年と2012年に子どもたちを対象に行なった調査によると、
学校に対する満足度はこの期間に、世界のどの国より増加している。


そして問題解決のテストでは、日本の生徒は、
PISAのトップだった上海をはじめ、
他のほとんどの国より優っていた。


私には、ゆとり教育が成し遂げようとしたことは、
ちゃんと成し遂げられたように見える。


日本の教育システムはいつもPISAのテストで
高い成績をおさめてきたが、
おそらくそれは教育が重視されているおかげであり、
入念に計画された授業のおかげであり、
すべての子どもが定められたカリキュラムを習得できるし
習得しなければならないという信念が根付いているおかげだろう。


ところが、ほんのささいなつまずきで、政府はうろたえて、
人々が嘆いている「受験地獄」の軽減と、
見たことのない問題の解決において日本の生徒たちが
世界一になる可能性の、両方に効果的だと思われた改革を
廃止してしまった。


このことは他の国々にも言えることだが、
どの価値観を重視したらいいのかというジレンマを際立たせる。


数学と読解の結果に関してどの程度まで妥協して、
子どもたちのための他の社会的、教育的美点を確保したらいいのだろう。

これは次に訪れる国、シンガポールの政府やシンガポールの親たちも、
同じく頭を抱えている問題だ。
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当書では、5か国探訪レポートの後に
「高い成果と公平性を実現するための5つの原則」を挙げています。
以下のような内容です。


原則1:子どもたちに学校で勉強する準備をさせる
 
 私案として、こう述べています。
 
 最も効果的なプログラムは、早くから勉強を始めることではなく、 
 認知スキルを発達させると同時にやる気を高め人格を形成するようなもの、
 つまりは認知的発達と社会性のバランスの取れたものだろう。
 
 また、認知的発達は、遊びながら学ぶことを通じて 
 学習に向けたスキルを発達させることを基本としている。


原則2:きちんと習得できるカリキュラム(そしてやる気の出る授業内容)を作る
 
 優れたカリキュラムは以下の特質を持っている。
 1)項目が少ない
 2)レベルが高い
 3)順序だっている。


原則3:低いレベルで妥協せず、子どもたちが向上を目指すようにサポートする。
 
 15―16歳までは能力混成クラスで教える。
 資格を持つ専門家による、
 柔軟性のある少人数グループでのサポートを受けられるようにする。


原則4:教師を専門家として待遇する。


 教師の養成には少なくても1年間はかけ、
 資格を取得したばかりの教師は、授業時間を少なくし、
 同じく授業時間を減らした先輩教師から指導を受ける時間を確保する。
 
 教師達が少人数で集まって授業計画を立てたり、
 授業を評価したりすることを奨励し
 すべての教師が教育面で互いに支え合い、学び合えるようにする。


 上野注:一般の業務での新人の養成と同じことですね。


 興味深い記述がありました。
 【効果のない教え方の例】
 ・子どもの能力を称賛する。(能力自体を称賛してはいけないということです)
 ・要点を生徒自身に見つけさせる。(基礎原理は教えなさいということです)
 ・生徒たちが好きな学習法に教師が併せて教える。
 ・教師が教え聞かせるのではなく、生徒たちに常に何らかの活動をさせる。


原則5:学校の成績責任と学校へのサポート(制裁ではなく)を両立させる。


 学校単位のデータや不定期の全国的調査を利用して、
 国家レベルあるいは地方レベルでの学校の活動状況を観察する。


 優れた教師や指導者にやる気を起こさせ、問題のある学校で仕事をさせて
 他の教師たちにも教育的指導力を分け与える。
 (他省略)


そうして著者はこの5原則はすべてを実施すべきものである、
と主張しています。
以下のように別の面の効果を期待しているからです。


      高い成果と公平性の根底にある原則

子どもたちに学校で勉強する
準備をさせる
子どもたちは準備が
できる
きちんと習得できるカリキュラム
(そしてやる気の出る授業内容)を作る
子どもたちは学ぶ
低いレベルで妥協せず、子どもたち
が向上を目指すようにサポートする
すべての子どもたちが学ぶ
教師を「専門家」として待遇する
教師たちが高い
スキルを持つ
学校の成績責任と学校へのサポート
(制裁ではなく)を両立させる
学校に良い影響が
出る

 
日本では、この5原則がほとんど実現できているということが
日本の生徒の学力が高い原因だということなのでしょう。
人文科学者としての洞察力に敬服いたします。


最後に、私の疑問を提示しておきます。
1.PISAのデータの信頼性について
 このテストはテスト実施国の同年代生徒約2億人に対して54万人
 日本では120万人に対して6600人です。
 率にするといずれも1%以下です。


 どういう層が参加しているかで、国際比較の意味がなくなります。
 優秀な層だけが受けているのなら点数が高くて当然でしょう。
 東南アジア系の国は怪しいですね。


2.学力が上がる根本要因
 以下の3点だと思います。


 1)国の学校教育に対する力の入れ方
  それにより所管官庁に優秀な人材が集まるでしょうし、 
  前掲の原則4の教師の処遇がよくなります。
  国民一人一人が教育が重要だという認識も持つでしょう。


 2)生徒のやる気
  これは「勉強すると良いことがある」と生徒が思うかどうかです。
  親がいくら「勉強しろ」「勉強しろ」と言っても、
  先が見えなければ勉強しません。
  
  高度成長期の日本では、
  「勉強すれば良い学校に入れ、その結果良い職業につける」
  と言うことで皆勉強したのです。
  勉強しない子は仲間はずれでした。
   
  新興国では今もそういう状況でしょう。


 3)勉強できる環境
  最低生活が精いっぱいの状態では勉強する時間が取れません。
  日本でもそういう家庭の子供はいます。


世界の国をこの指標でランキングすれば、
本当の学力との相関がはっきり出るでしょう。
これは自然科学的アプローチですね。


各論的には、
暗記モノは得意だが考える問題は苦手とかは判明するでしょう。
今でもその点は分かっています。
日本で読解力の順位が低いのは
考える問題が苦手の状況を示しているのです。


問題解決能力の教育をしているということであれば、
考える力の前進が見られるのでしょうが、
その教育はどの科目でしているのでしょうか。


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実はシステム企画研修社は、
「自称日本一」の問題解決能力の研修会社なのです。


問題解決と言うと、
「どうやって問題を解決するか」という方にすぐ話がいきます。
ですが当社の手法では、
その検討をする前に、「それは何のために解決しようとするのか」
を考えましょう、としています。


「減量しよう」⇒それは何のため?
「体重が減ればよい」と「見かけをよくしよう」とでは、
減量の方法が変わります。


学校のクラスの規律を決める場合、
全員がその目的を納得すれば決める規律が守られるでしょう。


いずれにしても目的の明確化は解決策の検討の前に必須なのです。
ですから、このブログでも
始めたときから「目的・ねらい」を記述するようにしています。


広い意味の問題解決には以下の6種類があると考えられます。
それによって考えるべき解決策は異なるのです。
ご参考までに6種類の違いだけを以下に示します。


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