2017年4月21日金曜日

ある東大のクラスの歴史

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「東大に入った人はどうなったんだろう?」の疑問に答えます。
 (本当は「どうなるんだろう?」を知りたいのでしょうが)
 大学のクラス会の運営の一例をご紹介します。

ねらい:
 何かの参考になさっていただければ幸甚です。
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ある東大のクラスの歴史をご報告します。

このクラスはクラス会メンバの高齢化もあり、
卒業57年で会の規定を改組したのです。
その機会に記録等を整理しましたので
その一部をご報告します。

東大の新入生は、
すべて教養学部に編成されるクラスに所属します。

文科1類(主として法学部・経済学部に進学)
文科2類(文学部、教育学部等へ)
理科1類(理学部、工学部等へ)


理科2類(当時は医学部へ進学する理科3類はなく、
 ここから医学部、農学部へ進学していました。
 多くは医学部志望でこの理科2類に入学するのですが、
 希望が叶わないと心ならずも農学部へという状況でした)

ご報告するクラスは1956年入学の文科1類のクラスです。
第1外国語として何を学ぶかでクラスが編成されていました。
このクラスはドイツ語を学ぶクラスです。

クラスの担任という先生がいて、
入学最初のガイダンスのようなことをしてくださったのでしょう。
ほとんどの授業はクラス担任が行うわけではありませんので、
普通はクラス担任と学生の関係は希薄です。

先日、文化人類学で著名な業績を残された増田義郎先生の
「偲ぶ会」が行われました。
増田先生も教養学部でクラス担任をされたのですが、
そのクラスの学生が多数その偲ぶ会に参加していました。

増田先生は他の先生と違い、
クラスの学生と親密な関係を持たれたのだそうです。
こういうことは稀だということがその偲ぶ会でも話題になりました。

このクラスのメンバがその後どうなったか、
を以下にご報告します。


1.総勢63名、すべて男


2.定かでありませんが、現役入学者は10人くらい。


3.結婚の早い遅いはありますが62名は結婚


4.入学から61年経ちますが存命者は丁度3分の2の42名

5.最も早く亡くなった人は、昭和61年です
  それ以外の内訳は、後掲の表に記載しています。
  当然ながら、近年増加傾向です。


6.奥様に先立たれた人は今までで4人
  奥様の方がお元気だということです。


7.子供は、1980年時点で
   0人が3人
   1人が6人
   2人が最多で27人
  
   3人が19人います。
   4人も3人もいます。
   申告なしが3人です。
  けっこう皆さま頑張っています。
 
  申告なしを除いた平均は2.22人です。
  人口減少にならない最低の出生率が2.07だそうですから、
  このクラスは日本の人口増に若干は貢献している
  ことになります。


8.子供は男子58人 人、女子71人
  女性優位ですね。
       

9.就職先は多い順でこうなります。
  銀行    9人
  商社    9人
  化学合繊 6人
  官庁    5人
  弁護士   5人
  証券会社 4人
  電機    4人
  重工    3人
  石油    3人
  セメント   2人
  大学    2人
  鉄鋼    2人
  建設    2人
  損保    2人
  裁判所   1人
  フイルム  1人
  小売     1人
  自営     1人


高度経済成長期でしたから、官庁より待遇の良い民間企業、
特に銀行・商社・証券会社が人気でした。


商社は、
三菱商事3人、伊藤忠商事3人、三井物産1人、住友商事1人、丸紅1人
でした。


その頃、人気になりだした証券会社にも4人も入っています。
その頃までは「株や」と言われ本学の就職先ではありませんでした。


基幹産業である鉄鋼・重工・電機や化学・合繊も
それなりの人気でした。


東レ・旭化成・帝人・クラレには一人ずつ入っています。
この業界は当時全産業最高水準の給与体系でした。


文Ⅰのオハコである弁護士と裁判官の法曹関係は
それほど多くなく6人(1割)です。
 

10.その後の「出世」
民間企業に就職した人の内、
転職は僅か3人で、うち一人は家業への転職です。
それ以外の2人は
なぜか2人とも合繊メーカからでコンサル集団への転職です。


最終的に、
本体の大企業社長になった者は1人、
系列の社長になった者は2人
家業・準家業で社長になった者が2人 です。


11.定年退職(1997年ごろ)後の職業
1997年頃、多くの者が定年を迎えています。
再就職をしている人がほとんどです。
系列の子会社の社長になった者7人、
官庁・銀行の関連組織に転じた者多数、という感じです。


12.クラスのOB会
このクラスは1980年にクラス会を組織化しました。
毎年の幹事を決め、年1回の総会を開く、
本人・家族の不幸に対しては会から弔慰金を支払う、
ということにしました。

その実績が以下の表です。
参加人数欄の■は参加者名等が不明ということです。

▼クリックすると拡大します▼




総会は宿泊の場合もあり、
豪華な場所や簡素な場所で開催しています。
その年の幹事の判断です。
豪華な場所で実施しているのは「奥様の受け狙い」です。


奥様同伴の総会は1991年から始めたのですが、
開催場所によって参加人数が大きく違います。


13.積立金制度

1980年の私が幹事のときから、年会費を徴収し始めました。
会の連絡費や、会として弔慰金を出すためです。


先日、その積立金の管理もたいへんなので、
決算をして、残金を分配してしまいました。
その時の決算書をご参考までにお示しします。

□□会37年間の収支決算

対象期間:1980年4月~2017年4月


収支項目
金額
構成比
年会費振込
2,515,000
47%
年会費徴収
2,826,000
53%
年会費合計
5,341,000
100%
定期預金金利
239,139
4.5%
弔慰金支払い
-1,440,000
27%
総会収支
-1,207,754
23%
総会費徴収
11,286,749
 
総会費支払い
12,494,503
 
名簿印刷費2005年迄
-373,852
7%
通信費その他
-935,271
18%


けっこう会員の皆様は真面目に年会費を納めました。

その結果、1人3万8千円ずつの配分となりました。
従来の規定だと死亡で5万円の弔慰金がご家族に出るのですが、
「少し少なくても生きている時にもらった方がよい」
と好評でした。

実はこの幹事は私がしました。

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