2014年10月27日月曜日

「正義は負ける」のですか!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 銚子市長選挙で2回も僅少差で落選した事例を知っていただく。
 「大衆」は目先の利に惑わされる事例を知っていただく。
 その大衆の思考に迎合するエセ正義派マスコミの影響力
 を知っていただく。
 このテーマに便乗した上野則男の回顧録を読んでいただく。

ねらい:
 どうすれば、「大衆」が正義に加担するようになるのかを
 考えていただく。

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「正義は負ける」は、金久保茂樹さんの書かれた
銚子市長を2期務めた野平匡邦氏の自伝書です。



野平氏は、私の大学空手部の後輩で、
大学紛争時代に空手部主将をした大物人材です。

この書からも学ぶことがずい分ありました。
そのいくつかをご紹介します。

1.空手部に入部する学生のタイプの分析・3分類
 これはなるほどそうだろうと思いました。

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1)自分は本学に楽々と現役入学した秀才だから、
 勉強はこれ以上しなくても同世代との出世競争に勝てる。
 これまで疎かにしてきた体力作りに精を出し、
 文武両道の立派なリーダー的人間になりたいという、
 非常に楽観的な人生観を持ったタイプ

2)昔、身体が小さくてひ弱なために、
 友人たちから小馬鹿にされ、
 イジメを受けてきた恨みをすぐにでも空手で晴らしたいという、
 かなり邪気のある入部動機である。

 このような同期生は、半年程度の空手部生活の後に
 酒を呑んだ上でのストリート・ファイティングをしばしば敢行したらしい。
 学生運動のために護身術を学ぶ覚悟の部員もいたようだ。

3)大学受験の競争に疲れて武道をやろうというタイプ。
 そのためには必ずしも空手でなくてもよいのだが、
 剣道や柔道は高校で経験している者もいて差がついている。
 空手は高校ではまずやっていなく互角で戦える。
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私自身は2)のタイプだったかもしれません。
戦後の食糧難世代でひ弱な体型で、ケンカが強くなかったですから。

しかし臆病なためか
その後は一度も「喧嘩」をしたことはありません。
「宝」は持ち腐れだったのです。

しかし「何かの時には負けないぞ」という気概は、
得られ心強いものでした。

2.市民は目先の利を追ってしまう。

野平銚子市長の施政方針の大綱はこうでした。
「愛、命、地球、海、緑、理想のまち銚子を目指し、
市政が皆様にプラスとなるよう努力したい」

第1章 銚子をかえる元気な市民
1.「とっぱずれ」からの脱却
2.医療福祉都市の創造
3.市民判定で公共施設革命

第2章 やさしくかしこいまちづくり
1.子育て環境の向上
2.教育機関の抜本的改革
3.文化創造型企業(人)の導入

第3章 ひるまずゆるめず行財政改革
1.コンビニエン市の誕生
2.不正・裏取引しない市政
3.聖域なき行革

ウィットも入れたりして素晴らしい施策ですが、
一途で欲張り過ぎの感はありますね。
敵もできそうです。

野平氏は2回も銚子市長選挙で僅少差で負けています。
これは運がないとも言えますが、
正論の市財政再建の施策が
「大衆」に受け入れられなかったのが原因と思われます。

それで「正義は負ける」の書名が生まれたのでしょう。

1)一度目は平成18年の自らの再選市長選挙
 この時は市の財政再建のために
 唯一の市立病院の経営改善を進めていたことに対して
 反対意見の候補に1万3千に対する479票差で負けました。

 市の財政再建よりも自分の利益を優先する
 市民の考えに負けたものです。

2)2度目は平成25年4月のこれも再選市長選挙
 前掲平成18年の市長選挙で当選した候補の
 無責任政策に対するリコールが成立しました。
 そのリコール選挙で返り咲きを果たした後の選挙です。

 今度は、地元新聞「大衆日報」の社長との対抗になりました。
 大衆日報社長は市長選立候補に当って社長を退きましたが、
 同紙は一方的にアンチ野平を前面に出して、
 市民の不利をあおりたてました。

 投票当日が悪天候だったことにより静かな良識派は棄権が多く、
 投票率は史上最悪の48%。
 今回も710票差で敗れました。

3.こうと思うことをやってしまう。

大学時代、運動部はみな酒好きです。
というか呑んで騒ぐのが好きです。

その一環で空手部には
新入生歓迎コンパという習慣がありました。

ここで新入生は「洗礼」を受けてしまうのです。
ところが野平氏は、酒を呑んで騒ぐのが性に合わず、
彼が責任者の時、伝統あるこのコンパを止めてしまいました。

野平氏について気に入らないことは酒席が嫌いという点です。
酒が好きでなくても酒席は好きであってほしいと私は思います。

私も空手部新入生歓迎会等で呑まされて
何度もグロッキーになった記憶があります。

当時のサケは、合成2級酒と焼酎でした。
焼酎と言っても現在のようなものではなく、
ほとんどアルコールといった代物でした。

先輩に注がれてコップで呑むのですが
グッと飲み干すと「お前強いな~」と言われます。
運動部で「強い」は特別な響きを持った言葉です。

おだてられて飲んでダウンしてしまうのです。
その後、私はこう考えるようになりました。

「強いな」という言葉はおかしい、
酒は何のために飲むのか、
酔って楽しくなるためではないか、
目的が酔うことなら「強いな」と言うべきではなく、
「にぶいな」と言うべきではないか、
それなら、いかに少量で酔えるようになるか、
と努力するのではないか」

屁理屈ですね。

その後の主将は、新入生歓迎コンパを復活させたそうです。
(いずれも本書による)
それが筋だと思います。

こうしてみると、
野平氏はこうと思ったことについては、
周囲の慮りなど関係なく断行してしまう性格なのですね。

それで、
銚子市の財政再建のために市営病院の運営費削減なども
大ナタを揮ったのでしょう。

当然敵ができるし、
市の財政のことなど「知ったことない」市民は
アンチ市長になるでしょうね。
「良薬口に苦し」です。

以下脱線
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そう言えば私も結構こうと思うことをやってきたなあ、と思います。
この場をお借りして私の「悪行」をご紹介いたします。

1.独身寮での実績
帝人社員だった頃、独身寮にいましたが、
そこでは以下のようなことを寮長の権限で実施しました。

1)下駄箱の放置靴の整理・廃却
 下駄箱の中でなく上にわけのわからない靴が
 山積みになっていました。
 これを2週間くらいの猶予の後に処分しました。

2)洗濯袋に入れて出す洗濯物を回数に関係なく
 何百円かの定額方式で クリーニング屋と契約しました。
 30センチ角くらいの選択袋に入れたものは
 そのままの状態で洗濯して乾燥し戻ってきます。
 味噌もくそも一緒です。
 それが嫌な人は利用しなければよいのです。
 多くの人が利用し洗濯から解放されたと感謝されました。

3)寮の中庭に、
 当時流行り出したゴルフのインドア練習場を設置しました。

4)独身寮主催の「マラソン」大会を始めました。
 年1回当時「半ドン」だった土曜日午後に開催しました。
 女子社員も多数応援に参加してくれました。
 夜は表彰式とダンスパーティを食堂ホールで開催しました。
 このイベントは10年以上も続いたようです。

2.大阪本社での実績
 従業員クラブという
 運動部・文化部の運営統括組織がありました。
 そこでの責任者を引き受け以下のようなことをしました。

1)水泳大会の開催
 東京オリンピックの後は皆さん何かやりたがりました。

2)運動会の開催 
 これは本来総務部の仕事ですが、
 大阪本社では開催していませんでしたので
 従業員クラブ主催で開催しました。
 しかし、運動会の運営は猛烈たいへんなことです。
 成功はしましたが1回で懲りてやめました。

3)文化祭の運営
 文化祭は屋内の舞台での行事です。
 これも従業員クラブの運営です。
 丁度東京オリンピックで、
 日本選手が重量挙げやレスリングで活躍した年です。

 そこで、文化系の出し物の中に「重量挙げ大会」を入れました。
 観客からは大人気でした。
 それまで文化祭の出し物は
 その当事者たちくらいしか見に来ない寂しいものでした。

 一部の「識者」から「なんで文化祭で重量挙げなんかやるのか」
 とクレームが出ましたが、
 私はなんでそんなことにこだわるのか。
 みんなが楽しめばよいではないか、と取り合いませんでした。

4)文化部・運動部への予算配分
 それまでの予算配分は既得権益方式・前年踏襲で
 準有名選手のいるテニス部などが厚遇されていました。

 私は新参者のヨット部を率いていたこともあり、
 全体予算のある比率を
 部員に限定しないオープンな活動に配分することにしました。

 部に入るのは嫌だけれどたまに活動に参加するのはしてみたい、
 という人のニーズに応えるためです。

 そういう機会に参加した人が入部することだってあるでしょう。
 そのように門戸開放すべきだと思ったのです。

 この施策も守旧派からはクレームが出ました。
 しかしこちらは正規の手続きでオーソライズしている上ので
 施策実行ですから ひるむことはありませんでした。

 万一実力行使になったら(空手N段です)
 負けない自信はありましたし。

 以上は、間違ったことはしていない(多くの人が喜ぶことだから)
 と思いますが、
 既得権益者への配慮とか根回しが足りなかったと
 今時点の判断としては思います。

野平氏も2回の落選については、
そういう点の配慮が足りなかったのでしょうね。

3.OB会運営改善

1)空手部OB会の仕組み整備
 OB会は会長・理事長・事務局長という体制で
 運営しています。
 現実的な運営は事務局長管轄です。

 ですが、技術指導に熱心なOBは多数いますが、
 会の運営に関心ある人はいませんでした。

 会費徴収は現役が分担して
 OBのところを回って集める という方式でした。
 そのため限度がありましたし、
 きちんとした入金実績の記録も取っていませんでしたから
 毎年「ご破算で願いましては」の方式でした。

 そのため収入が不足するものですから
 会費値上げを繰り返していました。
 

 ますます、
 徴収率が下がるという悪循環を繰り返していました。
 一部の几帳面な人に負担が偏るという構造だったのです。

 そこで、私は以下の方式を取り入れました。

 1)個人別会費納入実績を記録する

 2)過去3年までは訴求して請求する
  (3年で限度にしたのは当時年会費は3千円でしたので
  4年分となると1万円を超え「絶望的」金額になるためです)

 3)年次ごとの納入実績を明示し、
 年次委員の回収(督促)責任とした。

 これで見事会費値上げの繰り返しはストップできました。

 その他,OB会運営の役員と職務権限を明確にしました。
 会社では当然のことですね。

4.帝人での業務改善
上司に相談しないで、これは必要だ、有効だと思うことを
どんどんやりました。

1)製品原価計算の引当法の変更
 それまでは手計算だったので
 総平均法しかできませんでしたが 
 コンピュータ計算になったので 
 個別引当法にしました。

  
 ある時東京の管理部から呼び出しを受けました。
 何かおほめにあずかるのかと思って出かけますと
 「上野君ね、君のやっていることは悪くないけれど
 制度・仕組みを変えることについては
 事前に相談してくれないと困る」 ということでした。

 今なら当然そう思いますが、
 「何だそんなこと、結果がよくなるのなら良いじゃないか!」
 と憤慨したことを覚えています。

2)数千万円の荒稼ぎ
 これは業務改善ではないのですが、
 経理部に所属していた私は、
 「大の男にそろばんをさせる」のが不満で
 経理部業務の機械化を進めました。

 その結果暇になりました。
 そろばん入れの代りにコンピュータのアウトプットの
 製品の損益計算資料を見ていて、
 不当な仕入れ原価をいくつも見つけました。
 
 

 それは女子事務員が
 単純な間違えで仕入れを46倍にしていたのです。
 そういう間違えが起きやすい事務処理方式でした。

 その誤りで支払ってしまった商社に
 返金交渉に行きました。
 

 そうすると、
 「見つかりましたか、お返しします。
 1年間待って返還要求がなかった場合は
 特別利益計上するつもりでした」

 ちょくちょくこのようなミスはあるような口ぶりです。
 そうでしょうね。
 それだけ儲かるテトロンビジネスだったのです。
 
 私の給料はこういうのだけでも十分お返しができたと思って
 その後、帝人を辞めさせていただきました。

その後もなんだかんだと新しいことをしてきています。
私の現在の自己紹介は、「業務改善や」です。
そのルーツをご紹介させていただきました。
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橋下大阪市長もそうですが、
筋の分かる方は、独断専行するのでなく、
どうすれが好ましい結果が実現するのかを考えて
行動した方が良いようですね。

僭越ながら私を含めての反省です。


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