2014年10月30日木曜日

小渕優子さん、松島みどりさんの辞任はどう思いますか? そのあと我田引水

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 小渕優子さん、松島みどりさんの辞任について考えてみる。
 システムが動いている裏で、
  システムの事故・障害を起こさないための努力が
  行われていることを知っていただく。
 その努力の一つ当社の「Sweeper養成講座」を知っていただく。

ねらい:
 Sweeper養成講座の内容をご研究いただく。
 できればこの研修にご参加ください。

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10月26日のフジテレビ「新報道2001」は、
このお二人の辞職問題を取りあげていました。

政局判断で早期同時辞任となりました。

小渕さんは、
個人単位の年会費等に対してワインなどを送ったり、
観劇会で正規の料金よりも集めた会費が少なかったので
買収行為であると認定されてしまいました。

後者は言い逃れができないようですが、
前者は、納めた会費に対して提供した物品の値段が小さい場合は
金品の提供(買収、利益供与)とは認められない、
という解釈もあるようでした。

松島さんのはうちわを選挙民に配ったというものです。
当日のテレビで面白いことが示されていました。
厚紙のうちわの形でもA4サイズ以下ならOK
(ビラはA4以内ならよいという規定があるのです)、

指を差し込めるようになっていても
まあOKなのだそうです。

白い台紙のサイズはA4です。












ですが松島さんの場合には
「柄がついている」ので、
うちわ=価値ある物品ということで、
クロではないかということでした。





では、このようなものはどうでしょうか。
うちわとして使うことも
意識しているでしょうが、
「柄が付いている」とは言いにくいようです。

微妙ですね。







小渕さんは、
「自分はそういう事実を把握していないが
確認します、もし事実なら責任は私にあります」と
四の五の言い訳せずに極めて素直な対応でした。
好感が持てましたね。

松島さんは、違反かどうか微妙だったこともあり、
「悪いことをしているとは思わない」
などと開き直っていました。

おそらく、小渕さんのことがなければ
辞任しなくてすむ微罪だったのかもしれません。

いずれにしても、
明らかな悪意に基づく不正行為ではないでしょう。

ちょっとした不注意か綻びだと思われます。
それが辞任に繋がってしまうのですから怖いですね。

野党とマスコミの「根性の悪さ」も影響しています。

以下は、便乗・我田引水の論理展開です。
ご容赦ください。
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ちょっとした不注意という意味では、
個人情報漏洩で辞任に追い込まれた社長もいます。
情報システム事故で責任をとったトップもいます。

実は情報システム事故という点からすると、
現在の情報システムは
いつそのような事故が起きてもおかしくないような
脆弱な仕組みなのです。

それをシステムの運用と保守(エンハンス)の担当が
大事に至らないように瀬戸際でせき止めています。

でも、管理者や利用者から見ると、
事故(障害)は起きなくて当たり前で、
起きると「何をやっているのだ!!」と叱責されるのです。

情報システムを構成しているプログラムは
何万行・何十万行の命令文(仕様)でできています。
1行にはいくつもの「単語」が入っていますから、
その全部の関連を見て
間違いをなくするなどはできそうにもないでしょう?

そのため、銀行の大きなシステムを作る時などは、
半年もテストを繰り返しています。
それでも時々、ATMが止まるなどの事故が起きるのです。

そうやって、テストをして大丈夫となったシステムでも、
経営や業務の変化に対応して変更・改修が発生します。

この変更・改修をドジすると障害に繋がります。
システムの生涯を通じての障害発生原因としては、
初期の開発時のエラーよりも変更・改修時のミスの方が
圧倒的に多いのです。

JUASの調査では、
開発起因障害は28%、
保守運用起因障害は72%です。

そこで、事故に繋がる障害の削減対策としては
保守(エンハンス)業務の整備をすることが
非常に有効であるのに、
世の経営者さんたちは、
保守は後ろ向きの必要悪業務であるから
なるべく経費をかけずに改善のための投資もしない、
という方針です。

「これではいけません、保守業務の改善に投資をしてください」
という趣旨で
当社が2010年から継続している研修が
エンハンス(保守)業務改善のリーダを育てましょうという
Sweeper養成研修なのです。

Sweeperというのは掃除をする人という意味で、
情報システムの場をきれいにすることを期待役割とします。

ぜひ皆様の部下を
このSweeper養成研修に出していただいて、
障害削減に貢献していただけませんか?

第7期エンハンス業務改革推進者養成講座のご案内
http://www.newspt.co.jp/data/sweeper/sweeper.html


「地方消滅」日経新聞も結構いい加減ですね!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 
 「地方消滅」問題を改めて考えていただく。
 人口減対策には、結婚促進策が重要であることを
  再認識していただく。
 そもそも「地方消滅」で論じたかった論点(目的・ねらい) 
  を確認していただく。
  
ねらい:
 
 日本の人口減を食い止めると同時に、
 地方での充実した生活を実現したいですね。

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10月29日の日経新聞朝刊「真相深層」コラムで
「地方創生『東京集中是正論』の裏側」というテーマを
取りあげていました。

その中に以下のような記述がありました。

地方消滅を謳った日本創生会議の報告書では、
約半分の市町村で
2040年に20ー39歳の若年女性人口が5割以上減り、
消滅するおそれがある、としている。

東京の合計特殊出生率は1.13と全国最低だ。
東京は人口過密で、住居や子育て環境が地方よりよくない。
一方で若者が
地方から東京など大都市に流入する動きがとまらず
人口減が加速する―――こんな理屈だ。

しかしその創生会議のメンバの1人は
「人口密度が高い地域ほど出生率が低い
という議論をしていたが
なぜかという原因を突き止められなかった」
と言っている、とのこと。

パリ、ベルリン、ロンドンでは、
人口が右肩上がりで増えているが、
出生率も緩やかに上昇している、
という事実が紹介されています。

「人口学の世界で、
都市に人が集まると出生率が下がる
という話は聞いたことがない」
という「学者先生」の談話も掲載されています。

なんですって?
「聞いたことがない」と言われますが、
事実そういうことがあるのはどう説明するのですか?
その先生の見識の狭さを述べているだけのことですね。

このコラムのテーマの「裏側」という点では、
地方選出議員が、
交付金創設や税制優遇という地元利益誘導施策に
力を入れている、ことを言いたいようです。

結論はこうなっています。
「政府が人口減を本気で止めようというのであれば、
大都市への人口流入を止める前に、
今大都市にいる若者向け出産・子育て支援を充実する
のが先ではないか」

これを書いた編集委員さんは、
創生会議の報告書や「地方消滅」を
きちんと読んだのでしょうか???

少なくとも「地方消滅」では、
大都市では出生率が極めて低いという数値を示しています。
前掲のように東京都は2013年で1.13、京都府が1.26です。
出生率の大もとは、結婚率でしょう。

出産支援・子育て支援も大事ですが、
そもそも結婚しなければ子どもができないでしょうに!

「地方消滅」では、大都市の未婚率アップは、
生活費が高く生活しにくいこともあるだろうが、
結婚するチャンスが少ないことも一因だろう、
と言っています。
(私のブログ「地方消滅」でもその点を紹介しました。
 http://uenorio.blogspot.jp/2014/09/blog-post_26.html

地方では結婚の世話を焼く地域社会があるが、
大都市ではそういう機能がないことが
未婚率アップになっているのだろうと推測していました。
これは卓見です。

学者は「そういうデータはない」と言うのでしょうか。
「なるほどそうだ」と考えるのは判断力です。

その仮説の下に対策を講じたらよいではないですか。

自分に都合のよい情報だけを使って
他者を批判するのはまずいですね。
読者に間違った情報を与えることになります。

出産・子育て支援の前に結婚支援です!!

そもそも、「地方消滅」の発行意図は、
人口減を食い止めようということだけではなく、
地方を活性化して地方での充実した生活を実現しよう
ということもあるのです。

それは日本という国の発展にとって、
たいへん有意義なことです。

「元気で豊かな地方の創生のための施策を
総合的に推進するための企画立案
及び行政各部の所管する事務の調整」
を担当する石破茂大臣に
活躍していただかなければなりません。


品川区長選挙で思うこと

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 選挙でどういう基準で投票するかを考えていただく。
 「意思決定の決定原理は判断による」
 を思いだしてください。

ねらい:
 ご参考まで。それで終わりです。
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10月5日に品川区長選挙が行われました。
寒く雨模様で最悪の投票日和でした。
そのためもあり、投票率は過去最低の23%台でした。

30万4千人余の選挙民に対して
51,000票を獲得した現職の浜野氏が
17000票余の対立候補原田氏を破って当選しました。

おそらく投票率が高ければ、
もっと票差が開いたでしょうね。
原田さんは組織票が中心ですから。

浜野区長は3期目ですが、それなりの実績がある方で
私も評価しています。

以前長い間このブログで取りあげた
「公園に犬を入れないでください」
問題での素晴らしい捌きも浜野区長の実績です。

ですが今回は、我が家は原田さんに投票しました。
それは、
このブログでもご紹介した道路拡幅問題が原因です。

我が家の近隣の幅4メートルの都道を
20メートルに拡幅しようという計画です。

この計画が実行されると我が家は立ち退きとなります。
浜野区長は賛成派で、原田さんは反対派です。

浜野区長は全般的には、
行政の長として頑張っている方です。
ところが、1点気に入らないのです。

原田さんは共産党推薦でもあり、
全般的にはどういう施策を講じられるか未知数です。
ですが道路拡幅には反対です。

こういう場合、皆さんならどちらに投票されますか?

これで選挙民の立場が分かりました。

国政選挙でも地元利益誘導型でなく、
天下国家のために活躍する人を選びなさい、
と言いますが、
現実論になると自分達の利害を優先してしまうのです。

その影響を受けたのが、
別項「正義は負けるですって?」の野平前銚子市長であり、
国政に力を入れ地元の選挙活動を疎かにしたために、
何度も長野の選挙区で落とされてしまった
元衆議院議員田中秀世さんです。

どうしたものでしょうね???

こういう時は何を重視するかで決めるのです。
それはその人の判断で、
「正解があるわけではない」のです。

MIND-SA研修を受講された方は、
「意思決定の基準は判断である」を思いだしてください。


2014年10月27日月曜日

「女子の武士道」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 日本女性の鏡とはこういう人のことだという例を知っていただく。
 あらためて、武士道の素晴らしさを想像していただく。  

ねらい:
 この素晴らしい「女子の武士道」の「物語」を読んでいただく。
 日本はその理想の姿にどうすれば近付くことができるのかを
  考えていただく。
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「女子の武士道」-武士の娘だった祖母の言葉五十五ーは、
石川真理子さんという「フリーライター」が
典型的な明治女である祖母の一生を書きつづった名作です。















その祖母は、こんなすごい人がいるものか!
どうしてこんな人を育てられるのだろう!
とびっくり・感嘆する素晴らしい方です。

昔の日本女性はこんなだったのか!
今のヤンキーママ、モンスターママたちに、
少しは学んでほしいものです。

冒頭に以下の記述があります。

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日本は世界でも希に見る二千年以上の歴史を誇る国です。
私たちの祖先は幾多の困難を乗り越えて、
祖国を守り抜いてきました。

特に
幕末明治の大混乱や
大東亜戦争(第二次世界大戦)においては、
多大な犠牲を払いながらも、
亡国の危機を乗り越えています。

雄々しく生き抜いた先人に対して、
畏敬の念を禁じ得ません。
なんと高尚で屈強な精神を持ち合わせていたのでしょう。

このような日本の美徳は、
歴史に名を残す偉人ばかりではなく、
名も無き人々にも浸透していました。

幕末明治に日本に滞在した外国人の手記には、
庶民の礼儀正しさと善良さ、教養の豊かさ、
そして誠と名誉を重んじる精神性が驚きをもって
綴られています。

なぜなら、こうした教養や精神性は彼らの国では
貴族階級だけの矜持であったからです。

しかし、残念ながら日本人の美質は失われつつある
ことを認めざるを得ません。
日本が抱える問題の多くも、根はここにあるといって
いいでしょう。

日本人特有の不屈の精神は、
我が国の歴史と伝統を重んじる心、
この国を愛する心があったからこそ
成り立っていたのではないでしょうか。

現在、日本人の多くが強く生きるための芯を持てずに
いるのは、こうした規範を失ったためでしょう。

そして、本当の危機は、このことにこそあると考えます。
 
どれほど困難な時代、どんな境遇であろうとも、
運命を受け入れて強く生き抜く覚悟があれば、自ら幸せを
掴むことが可能であることは、先人が示してくれた通りです。

私たちは、
今こそ先人の生き方に学ぶべきではないでしょうか。
特に、
幕末明治から大正、昭和という近代を生きた人の経験は、
転換期を生きる私たちに大きなヒントと
勇気を与えてくれるはずです。

偉人はもとより市井の人がいかに生きたかを知ることは、
日本国民としてのあり方、個人としての生き方いずれをも
教えてくれるものと思います。
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本書の構成はこうなっています。
第1章 生きる指針となる武士道「義は人の道なり」
女性の義とはなにか

第2章 妻の武士道「愛あるものは勇敢である」
夫婦として生きていく覚悟
危難に立ち向かう勇敢な妻になる
夫の浮気には決然とした態度で挑む
一家の盛衰は夫婦の絆にかかっている

第3章 母の武士道「克己心こそ教育の根幹」
子供に与えるべきは物より心
子を育てることによって己を律す
克己心を育む
子どもの心に故郷をつくる

第4章 働く女性の武士道「徳は本なり、財は末なり」
才能を世のために使うのが仕事
人にやさしく、自分に厳しく
誇りを持って事に仕える
上に立つ者ほど頭を下げる

第5章 己に克つための武士道「心を平静に保つ」
目の前の一歩を最良の一歩にする
日本人の精神を支えてきたもの
いつかは、真の強さを備えた穏やかな女性に

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このように、妻、母、働く女性、己と区分けされていますが
祖母の一生を連続して物語にしてあるのです。
個々の内容も素晴らしいのですが、
その構成法にも脱帽です。

ぜひ、一読をお勧めします。

どんな内容であるのかを知っていただくため、
若干長い転載になりますが
第2章妻の武士道の一部「夫の浮気には決然とした態度で挑む」
の大半を以下にご紹介します。
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祖母の言葉十三 相手をいたずらに責めず、闘わずして勝つのです

おのずから醸し出される気品

夫が出稼ぎに出て行ってしまい、なんとなく心細く感じられる家を、
祖母は精一杯明るく盛り立てながら
働きに働きました。

いつも頭から離れないのは夫がどうしているかということで、
時折、手紙が届くと待ちかねたように封を開け、
何度も何度も読み返すのでした。

夫は元来筆無精なたちでした。
手紙もだんだんと途絶えがちになっていきました。
そして音沙汰がないまま三ヶ月、半年と時が過ぎて
いったのです。

これは何かあったのかも知れない、
さすがに祖母は心配になりました。
そして、義父母に事情を話し東京へと向かったのでず。

まず横浜に嫁いだ姉の家へ行き案内を頼みました。
祖母は生まれて初めて故郷を離れ、
遙か東京までやってきたのです。
賑やかな都会の様子に、さぞかし驚いたことでしょう。

最後の手紙にあった住所を頼りに
やっとの思いで居場所を訪ねてみると、
夫は小石川のいかにも貧しげな裏長屋に
一間を借りて暮らしていました。

こんなところに一人住まいで、さぞかし苦労しているのだろう。
祖母は夫を思い、切なくなりました。

しかし、そんな思いも戸を開けた瞬間、
消し飛んでしまいました。
中には見知らぬ女性が二人も居るではありませんか。

夫は仕事がなかなかうまくいかないため
破れかぶれになっており、
身の回りの世話をしてもらうという口実で、
ある女性と深い仲になっていたのでした。

その女性が実母まで連れてきていたのです。
簡単に言えば、浮気です。

「驚くやら情けないやら腹立たしいやら悲しいやら。
いろんな感情がいっぺんに吹き出しそうになっての。
あんな経験は初めてですよ。

思わず叫びそうになるところを、
私は妻なのだ、と自分に言いきかせました。
そうしたら急に腹が据わって落ち着いて来たのです」

 
祖母は部屋に上がると、端座しました。
そして微笑みさえ浮かべながら、静かに言ったのです。

「これまで夫をよくお世話してくださいました。
これからはわたくしがおりますゆえ、
どうぞ、お引き取り願わしゅうございます」

 
そこに居合わせた誰もが祖母が取り乱して大騒ぎを
するだろうと身構えていました。
それをみごと裏切られ、かえってひるんでしまったのでしょう、
取り乱したのは女性の方でした。

「半年以上もこの人の世話をしてきて、
私は事実上妻も同然、
それに比べてあんたは夫を放りっぱなしで世話もしなかった
ではないか、
もはやあんたは妻ではない、さっさとここを出て行けと、
それはもう恐ろしいような勢いで息巻いたのですよ。

その様子を見ていると、かえって憐れになってしまうほどでの。
自分の側からものごとを見るだけでは判断を誤ってしまう。

見方を変えれば相手の言うこともまた正当なこともあるのです。
確かに私にかわって夫を世話してくれたのですから」
 

祖母は責めるよりも、何はどうあれ礼を言うべきところが
あれば礼を述べようと心を決めました。

その振舞からは、おのずから気品が醸し出されていた
にちがいありません。
それは相手に
「この女性にはかなわない」と思わせたことでしょう。

「武士は闘わずして勝つことを最善としていたといいますよ」
何でもけんか腰にならず冷静に対処し極力争いを避けること。
武士道は平和主義であることを新渡戸稲造も述べています。

祖母の言葉 十四

   ときには夫に妻たる者の覚悟を見せてやりなされ

 もっとも勇気ある者とは

女性は祖母の決然とした態度に悔しがりながらも、
おいそれとは帰りませんでした。

妻と浮気相手、浮気相手の栂という三人の女性に囲まれて、
祖父はおろおろするばかり。

「なんと情けないことかと、男の弱さだらしなさを知りましたよ。
それまで男は屈強なものだと思いこんでいたけれど、
父のいうとおり、おなごがしっかりしてこそ男は強くあることが
できるというのをつくづく思い出しました。

我が家の大黒柱にしっかり立ってもらうために、
私はしっかりした地にならねばと心の中で
くり返し考えておりました」

決意をますます固めた祖母は、
なかば意地になったように家の仕事や夫の世話を焼く女性に対して、
「これはごくろうさまでございます」とねぎらいました。

そして夫に対しては一言もとがめ立てをしませんでした。
ただ、時折じっと目を見据え、
夫の本心を読もうとするかのように端座するのでした。

こうして祖母は、あくまで正妻としての立場を貫いたのです。
揺らがない、絶対に動じない、一貫した言動というものは、
非常におそれを感じさせるようです。

おそらく女性にしてみれば、なぜこの期に及んでこれほど
平静を保てるのかと気圧される思いでしたでしょう。
次第に自らを追いつめていくことになったのでした。

『武士道』では
「もっとも強くて勇敢な男性にけっして劣らない
英雄的な不屈の糟神を示す」
と女性を称えています。

そしてまた、
「もっとも勇気ある者はもっとも心優しい者であり、
愛ある者は勇敢である」
とも教えています。

誰をも責めず、しかし毅然と対処したのは、
祖母の中にあるやさしさと愛のあらわれでもあったのかも
しれません。

祖母の言葉 十五

 真に辛い時は、なんに向かってでもいい、

                                   手を合わせてごらん

 「あなたの妻である」という確固とした態度

そうは言っても、このとき祖母は二十五歳。
覚悟を決めていようとも、心は激しく傷ついていたのです。
その心の痛みは、ときに耐えられないばかりになるのでした。

「どうにもつらいときは、
心の中で藁にもすがる思いで手を合わせていました。
神様でも仏様でも、なんでもいい、とにかく心から祈って、
自分がこの状況を切り抜けていく
ことができるようにと必死にお願いしたのです」

すると不思議なもので、だんだんと気持ちが安らいで
くるのでした。

そして、
いつどんなときでも神仏は自分に必要なものを与えてくれるもの、
どんな答えを得ようとも、
それが自分にとって必要な答えなのだから、
すべて受け入れることが大事なのだと思い至ったのです。

それは、左目を失う運命を背負うことによって、
祖母が実感として得た境地、
何ごとにも揺るがない心を持つことでした。

「すべて自分に必要なものを与えてくださるのだということを
思い出したとき、肩の力がすうっと抜けたものです。
真に苦しいときは、とにかく手を合わせて祈ることですよ」

夫が手をついて謝ったのはそれから間もなくのことです。
そして浮気相手の女性とその母親に対して、
頭を畳にこすりつけるようにして
「引き取ってくれ」と懇願したのでした。

相手の女性も、すでに勝ち目はないと悟っていたのでしょう。
「ぱかぱかしい」という捨てぜりふを残し、
母親を伴って、思いのほかすんなりと帰って行きました。

これでもう誰に遠慮をすることもなく
夫を責め立てることができます。
けれど、祖母はそうはしませんでした。

「これまで一人でご苦労様でございました。
これからは私も共に身を粉にして働きますから、
どうぞ、お心をあらたにしてくださいませ」

これには夫も仰天し、再び頭を下げたのでした。
『論語』には次のようにあります。

これを愛して能く労すること勿からんや。
(人を)愛するからにははげまさないでおれようか。

祖母は「私はあなたの妻である」という
確固とした態度を崩さず、
夫にこの覚悟に答える用意はあるかどうか、
そして共に手を携えてやっていこうという励ましを、
その言葉の裏に込めたのです。

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スゴイですね。
どうしたらそんなスゴイ人を育てることができるのでしょうか。


「正義は負ける」のですか!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 銚子市長選挙で2回も僅少差で落選した事例を知っていただく。
 「大衆」は目先の利に惑わされる事例を知っていただく。
 その大衆の思考に迎合するエセ正義派マスコミの影響力
 を知っていただく。
 このテーマに便乗した上野則男の回顧録を読んでいただく。

ねらい:
 どうすれば、「大衆」が正義に加担するようになるのかを
 考えていただく。

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「正義は負ける」は、金久保茂樹さんの書かれた
銚子市長を2期務めた野平匡邦氏の自伝書です。



野平氏は、私の大学空手部の後輩で、
大学紛争時代に空手部主将をした大物人材です。

この書からも学ぶことがずい分ありました。
そのいくつかをご紹介します。

1.空手部に入部する学生のタイプの分析・3分類
 これはなるほどそうだろうと思いました。

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1)自分は本学に楽々と現役入学した秀才だから、
 勉強はこれ以上しなくても同世代との出世競争に勝てる。
 これまで疎かにしてきた体力作りに精を出し、
 文武両道の立派なリーダー的人間になりたいという、
 非常に楽観的な人生観を持ったタイプ

2)昔、身体が小さくてひ弱なために、
 友人たちから小馬鹿にされ、
 イジメを受けてきた恨みをすぐにでも空手で晴らしたいという、
 かなり邪気のある入部動機である。

 このような同期生は、半年程度の空手部生活の後に
 酒を呑んだ上でのストリート・ファイティングをしばしば敢行したらしい。
 学生運動のために護身術を学ぶ覚悟の部員もいたようだ。

3)大学受験の競争に疲れて武道をやろうというタイプ。
 そのためには必ずしも空手でなくてもよいのだが、
 剣道や柔道は高校で経験している者もいて差がついている。
 空手は高校ではまずやっていなく互角で戦える。
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私自身は2)のタイプだったかもしれません。
戦後の食糧難世代でひ弱な体型で、ケンカが強くなかったですから。

しかし臆病なためか
その後は一度も「喧嘩」をしたことはありません。
「宝」は持ち腐れだったのです。

しかし「何かの時には負けないぞ」という気概は、
得られ心強いものでした。

2.市民は目先の利を追ってしまう。

野平銚子市長の施政方針の大綱はこうでした。
「愛、命、地球、海、緑、理想のまち銚子を目指し、
市政が皆様にプラスとなるよう努力したい」

第1章 銚子をかえる元気な市民
1.「とっぱずれ」からの脱却
2.医療福祉都市の創造
3.市民判定で公共施設革命

第2章 やさしくかしこいまちづくり
1.子育て環境の向上
2.教育機関の抜本的改革
3.文化創造型企業(人)の導入

第3章 ひるまずゆるめず行財政改革
1.コンビニエン市の誕生
2.不正・裏取引しない市政
3.聖域なき行革

ウィットも入れたりして素晴らしい施策ですが、
一途で欲張り過ぎの感はありますね。
敵もできそうです。

野平氏は2回も銚子市長選挙で僅少差で負けています。
これは運がないとも言えますが、
正論の市財政再建の施策が
「大衆」に受け入れられなかったのが原因と思われます。

それで「正義は負ける」の書名が生まれたのでしょう。

1)一度目は平成18年の自らの再選市長選挙
 この時は市の財政再建のために
 唯一の市立病院の経営改善を進めていたことに対して
 反対意見の候補に1万3千に対する479票差で負けました。

 市の財政再建よりも自分の利益を優先する
 市民の考えに負けたものです。

2)2度目は平成25年4月のこれも再選市長選挙
 前掲平成18年の市長選挙で当選した候補の
 無責任政策に対するリコールが成立しました。
 そのリコール選挙で返り咲きを果たした後の選挙です。

 今度は、地元新聞「大衆日報」の社長との対抗になりました。
 大衆日報社長は市長選立候補に当って社長を退きましたが、
 同紙は一方的にアンチ野平を前面に出して、
 市民の不利をあおりたてました。

 投票当日が悪天候だったことにより静かな良識派は棄権が多く、
 投票率は史上最悪の48%。
 今回も710票差で敗れました。

3.こうと思うことをやってしまう。

大学時代、運動部はみな酒好きです。
というか呑んで騒ぐのが好きです。

その一環で空手部には
新入生歓迎コンパという習慣がありました。

ここで新入生は「洗礼」を受けてしまうのです。
ところが野平氏は、酒を呑んで騒ぐのが性に合わず、
彼が責任者の時、伝統あるこのコンパを止めてしまいました。

野平氏について気に入らないことは酒席が嫌いという点です。
酒が好きでなくても酒席は好きであってほしいと私は思います。

私も空手部新入生歓迎会等で呑まされて
何度もグロッキーになった記憶があります。

当時のサケは、合成2級酒と焼酎でした。
焼酎と言っても現在のようなものではなく、
ほとんどアルコールといった代物でした。

先輩に注がれてコップで呑むのですが
グッと飲み干すと「お前強いな~」と言われます。
運動部で「強い」は特別な響きを持った言葉です。

おだてられて飲んでダウンしてしまうのです。
その後、私はこう考えるようになりました。

「強いな」という言葉はおかしい、
酒は何のために飲むのか、
酔って楽しくなるためではないか、
目的が酔うことなら「強いな」と言うべきではなく、
「にぶいな」と言うべきではないか、
それなら、いかに少量で酔えるようになるか、
と努力するのではないか」

屁理屈ですね。

その後の主将は、新入生歓迎コンパを復活させたそうです。
(いずれも本書による)
それが筋だと思います。

こうしてみると、
野平氏はこうと思ったことについては、
周囲の慮りなど関係なく断行してしまう性格なのですね。

それで、
銚子市の財政再建のために市営病院の運営費削減なども
大ナタを揮ったのでしょう。

当然敵ができるし、
市の財政のことなど「知ったことない」市民は
アンチ市長になるでしょうね。
「良薬口に苦し」です。

以下脱線
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そう言えば私も結構こうと思うことをやってきたなあ、と思います。
この場をお借りして私の「悪行」をご紹介いたします。

1.独身寮での実績
帝人社員だった頃、独身寮にいましたが、
そこでは以下のようなことを寮長の権限で実施しました。

1)下駄箱の放置靴の整理・廃却
 下駄箱の中でなく上にわけのわからない靴が
 山積みになっていました。
 これを2週間くらいの猶予の後に処分しました。

2)洗濯袋に入れて出す洗濯物を回数に関係なく
 何百円かの定額方式で クリーニング屋と契約しました。
 30センチ角くらいの選択袋に入れたものは
 そのままの状態で洗濯して乾燥し戻ってきます。
 味噌もくそも一緒です。
 それが嫌な人は利用しなければよいのです。
 多くの人が利用し洗濯から解放されたと感謝されました。

3)寮の中庭に、
 当時流行り出したゴルフのインドア練習場を設置しました。

4)独身寮主催の「マラソン」大会を始めました。
 年1回当時「半ドン」だった土曜日午後に開催しました。
 女子社員も多数応援に参加してくれました。
 夜は表彰式とダンスパーティを食堂ホールで開催しました。
 このイベントは10年以上も続いたようです。

2.大阪本社での実績
 従業員クラブという
 運動部・文化部の運営統括組織がありました。
 そこでの責任者を引き受け以下のようなことをしました。

1)水泳大会の開催
 東京オリンピックの後は皆さん何かやりたがりました。

2)運動会の開催 
 これは本来総務部の仕事ですが、
 大阪本社では開催していませんでしたので
 従業員クラブ主催で開催しました。
 しかし、運動会の運営は猛烈たいへんなことです。
 成功はしましたが1回で懲りてやめました。

3)文化祭の運営
 文化祭は屋内の舞台での行事です。
 これも従業員クラブの運営です。
 丁度東京オリンピックで、
 日本選手が重量挙げやレスリングで活躍した年です。

 そこで、文化系の出し物の中に「重量挙げ大会」を入れました。
 観客からは大人気でした。
 それまで文化祭の出し物は
 その当事者たちくらいしか見に来ない寂しいものでした。

 一部の「識者」から「なんで文化祭で重量挙げなんかやるのか」
 とクレームが出ましたが、
 私はなんでそんなことにこだわるのか。
 みんなが楽しめばよいではないか、と取り合いませんでした。

4)文化部・運動部への予算配分
 それまでの予算配分は既得権益方式・前年踏襲で
 準有名選手のいるテニス部などが厚遇されていました。

 私は新参者のヨット部を率いていたこともあり、
 全体予算のある比率を
 部員に限定しないオープンな活動に配分することにしました。

 部に入るのは嫌だけれどたまに活動に参加するのはしてみたい、
 という人のニーズに応えるためです。

 そういう機会に参加した人が入部することだってあるでしょう。
 そのように門戸開放すべきだと思ったのです。

 この施策も守旧派からはクレームが出ました。
 しかしこちらは正規の手続きでオーソライズしている上ので
 施策実行ですから ひるむことはありませんでした。

 万一実力行使になったら(空手N段です)
 負けない自信はありましたし。

 以上は、間違ったことはしていない(多くの人が喜ぶことだから)
 と思いますが、
 既得権益者への配慮とか根回しが足りなかったと
 今時点の判断としては思います。

野平氏も2回の落選については、
そういう点の配慮が足りなかったのでしょうね。

3.OB会運営改善

1)空手部OB会の仕組み整備
 OB会は会長・理事長・事務局長という体制で
 運営しています。
 現実的な運営は事務局長管轄です。

 ですが、技術指導に熱心なOBは多数いますが、
 会の運営に関心ある人はいませんでした。

 会費徴収は現役が分担して
 OBのところを回って集める という方式でした。
 そのため限度がありましたし、
 きちんとした入金実績の記録も取っていませんでしたから
 毎年「ご破算で願いましては」の方式でした。

 そのため収入が不足するものですから
 会費値上げを繰り返していました。
 

 ますます、
 徴収率が下がるという悪循環を繰り返していました。
 一部の几帳面な人に負担が偏るという構造だったのです。

 そこで、私は以下の方式を取り入れました。

 1)個人別会費納入実績を記録する

 2)過去3年までは訴求して請求する
  (3年で限度にしたのは当時年会費は3千円でしたので
  4年分となると1万円を超え「絶望的」金額になるためです)

 3)年次ごとの納入実績を明示し、
 年次委員の回収(督促)責任とした。

 これで見事会費値上げの繰り返しはストップできました。

 その他,OB会運営の役員と職務権限を明確にしました。
 会社では当然のことですね。

4.帝人での業務改善
上司に相談しないで、これは必要だ、有効だと思うことを
どんどんやりました。

1)製品原価計算の引当法の変更
 それまでは手計算だったので
 総平均法しかできませんでしたが 
 コンピュータ計算になったので 
 個別引当法にしました。

  
 ある時東京の管理部から呼び出しを受けました。
 何かおほめにあずかるのかと思って出かけますと
 「上野君ね、君のやっていることは悪くないけれど
 制度・仕組みを変えることについては
 事前に相談してくれないと困る」 ということでした。

 今なら当然そう思いますが、
 「何だそんなこと、結果がよくなるのなら良いじゃないか!」
 と憤慨したことを覚えています。

2)数千万円の荒稼ぎ
 これは業務改善ではないのですが、
 経理部に所属していた私は、
 「大の男にそろばんをさせる」のが不満で
 経理部業務の機械化を進めました。

 その結果暇になりました。
 そろばん入れの代りにコンピュータのアウトプットの
 製品の損益計算資料を見ていて、
 不当な仕入れ原価をいくつも見つけました。
 
 

 それは女子事務員が
 単純な間違えで仕入れを46倍にしていたのです。
 そういう間違えが起きやすい事務処理方式でした。

 その誤りで支払ってしまった商社に
 返金交渉に行きました。
 

 そうすると、
 「見つかりましたか、お返しします。
 1年間待って返還要求がなかった場合は
 特別利益計上するつもりでした」

 ちょくちょくこのようなミスはあるような口ぶりです。
 そうでしょうね。
 それだけ儲かるテトロンビジネスだったのです。
 
 私の給料はこういうのだけでも十分お返しができたと思って
 その後、帝人を辞めさせていただきました。

その後もなんだかんだと新しいことをしてきています。
私の現在の自己紹介は、「業務改善や」です。
そのルーツをご紹介させていただきました。
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橋下大阪市長もそうですが、
筋の分かる方は、独断専行するのでなく、
どうすれが好ましい結果が実現するのかを考えて
行動した方が良いようですね。

僭越ながら私を含めての反省です。


愛国精神と共に武士道精神も失っていた!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 新渡戸稲造博士の「武士道」のエッセンスを確認していただく。
 武士道精神が失われつつあることを感じていただく。
 これではまずいのではないかと感じていただく。

ねらい:
 武士道精神に関心をもって行動していただく。
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戦後の「進駐軍」の日本弱体化戦略によって、
日本国民の「精神」は骨抜きになってしまいました。


まずは、徹底した懺悔思想によって
愛国精神が失われました。

国を愛する精神は武力是認を通じて軍国に繋がる
という論理で
国を愛する愛国心の代わりに
抽象的な世界平和主義を叩き込まれました。

この度、石川真理子さんの書かれた
「女子の武士道」を読んで、
今さらながらですが
「武士道精神も失っていた」ことを認識しました。

「女子の武士道」については別項をご参照ください。

武士道も戦後教育で、
単純に武力是認に繋がるという論理で否定されたのです。

その否定論理の成果で??
私も「武士道は武の美化、武力至上主義を謳うものだ」
くらいにしか認識していませんでした。
お恥ずかしい限りです。

【武士道著述の背景】
そこであらためて、新渡戸稲造さんの「武士道」を
矢内原忠雄さんの訳本で読んでみました。

この原著が英語で書かれ、
日本語訳はその後出されたものであることもその時知りました。

当初「武士道」は、
日本の武士道を礼賛するために書かれたものである
と思って読みました。

ところがそうでないことが分かりました。
新渡戸さんは何学者というのが正しいのか分からないくらい
多様な世界に首を突っ込んでおられます。

著名な業績は、日本国多難な時代に1920年から26年まで
国際連盟事務次長を務められたことでしょう。

その間に当ブログの別項でも取りあげました
(「ジャパンバッシング(日本叩き)の底流を探る!
http://uenorio.blogspot.jp/2014/09/blog-post_62.html

人種的差別撤廃条約を
国際連盟で提案し多くの国の賛同を得ましたが、
議長を務めた米国ウィルソン大統領の横暴で否決されました。

新渡戸さん自身は、
キリスト教を信奉し若くして洗礼を受けた信者でした。

その新渡戸さんが
なぜ武士道を世界に知らしめようとしたかですが、
それは武士道を礼賛し世界に普及させようという意図ではなく、
日本国民の思想的バックボーンを理解していただこう、
知っていただこう、という純学者的発想なのです。

したがって、その叙述は主観的・思い入れ的・情的ではなく、
冷静で客観的です。

私としては少し物足りない気がします。
ですが、そのことが本書の価値を高め評価されていることに
つながっているのでしょう。

ルーズベルト大統領も熱心に読んだということのようですが、
これは敵を知るという目的であったろうと容易に想定できます。
(当大統領の悪策略家ぶりは、
日米開戦の作戦で今や余すところなく知られています)

【武士道のルーツ】
本書ではまず、武士道のルーツについて解説しています。


仏教
 運命に任すという平静なる感覚(無常ですかね)
 不可避に対する静かなる服従
 危険災禍に直面してのストイック的なる沈着
 生を賎しみ死を親しむ心

 を武士道に与えた。
 
神道
 主君に対する忠誠
 祖先に対する尊敬
 親に対する孝行 

 「神道の教義には、
 わが民族の感情生活の二つの支配的特色と呼ばるべき
 愛国心および忠義が含まれている」

孔子の教訓(儒教)
 武士道の最も豊富なる淵源である。
 君臣、父子、夫婦、長幼、朋友間における五倫の道は
 儒教が入ってくる前から民族的本能として備わっていた。

 政治道徳に関する教訓は、処世の智恵に富み
 治者階級たる武士によく適合した。
 孔子の貴族的保守的な言は
 武士たる政治家の要求によく適応した。

武士道精神は、以上のルーツを混然一体と合成している。

【武士道精神の内容】
本書で、「武士道」で解説している徳は以下の内容です。

「武士道」
「武士道」での解説
孔子
(儒教)
骨、人の路、「正義の道理」、
義と勇は武徳の兄弟
勇とは義(ただ)しきことをなすことなり。

人を思いやる心、柔和なる徳
他人の感情に対する同情的思いやり
が外に現れたもの
信実と誠実、「武士の一言」
名誉
名誉の感覚は人格の尊厳および価値
の明白なる自覚を含む。名、面目、外聞

忠義
目上の者に対する服従および忠誠
教育および訓練
目的は知の向上ではなく、叡智・
品性を建てること
克己
心情を安易に外に出すことを控える。






 
右欄に表示しました儒教の徳目(北条重時の家訓)である
「仁義礼智信忠孝悌」と比較しますと、
以下の相違があります。

武士道にあって儒教にないもの
 勇、名誉、克己
これらは武士道としては非常に重要な徳目です。

儒教にあって「武士道」にないもの
 孝 
 新渡戸さんはこれを軽視したのではありません。
 「武士道」はその徳目の解説をすべて
 欧米文学または慣習等の引用をして
 日本が異端ではないことを説明しています。

 「孝」は外国にその引用事例が見いだせなかったので
 解説しなかったのだそうです。
 ということは、孝については欧米では重視していないか、
 当然過ぎて論じていないのでしょう。

 悌 (兄弟愛)
 孝や忠があるから悌もという感じで
 特別に論じるに値しないということでしょうか、
 そのことについては何も触れていません。


ここで、欧米の類似例を引用する「武士道」の叙述スタイル
の例を示します。
「勇」の解説です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
勇気は、義のために行われるのでなければ、
徳の中に数えられるにほとんど値しない。

孔子は「論語」において、
その常用の論法に従い消極的に勇の定義を下して
「義を見てなさざるは勇なきなり」と説いた。

この格言を積極的に言い直せば、
「勇とは義(ただ)しき事をなすことなり」である。

あらゆる種類の危険を冒し、一命を危うくし
死の顎(あぎと)に飛びこむーー
これらはしばしば勇気と同一視せられ、
しかして武器をとる職業においてはかかる猪突的行為ーー
シェイクスピアが呼んで「勇気の私生児」と言えるものーー
が不当に喝采せられた。

しかしながら武士道にありてはしからず、
死に値せざる事のために死するは、
「犬死」と賤しめられた。

プラトンは勇気を定義して、
「恐るべきものと恐るべからざるものとを識別することなり」
と言ったが、
プラトンの名を聞いたことさえなかった水戸の義公も、
「戦場に駆け入りて討死するはいとやすき業にて
いかなる無下の者にてもなしえらるべし。
生くべき時は生き、
死すべき時にのみ死するを真の勇とはいうなり」
と言っている。

西洋において
道徳的勇気と肉体的勇気との間に立てられた区別は、
我が国民の間にありても久しき前から認められていた。
いやしくも武士の少年にして、
「大勇」と「匹夫の勇」とについて聞かざりし者があろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まさに縦横無尽ですね。

 
忠は日本の中で強化された徳目ではないでしょうか。
しかし、忠は悲しい物語が多すぎます。

四十七士とか
本書でも紹介された菅原道真の子の身代りになって
部下がその子を本人の同意も得て首をさしだした、
天皇に対する忠で特攻隊を志願したとか。

私は、現代で重視すべき徳目は、以下の5項だと思います。
皆様はどう思われますか?

 仁、義、礼、誠、克己

武士道から少しずれるかもしれませんが、
人の倫(人倫)として最大の守るべき筋は
「人さまに迷惑をかけない」
「人さまに不快な思いをさせない」
ことだと思います。

「女子の武士道」はそれに徹している感じがします。

武士道からするとかなりレベルが低いですが、
日本の精神(道徳)教育はそこから始まるのではないでしょうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
10月21日に中央教育審議会は、
文科相に道徳の時間を教科に格上げする答申を行いました。

この時間の学習目標は、
「様々な問題や課題を主体的に解決し、
よりよく生きていくための資質・能力を培う」
ことにするようです。
実現は2018年からになるようですが(時間がかかりますね――)、
期待しましょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【武士道の将来】
「武士道」の最後の第17章に、「武士道の将来」がありますが、
結論はこうなっています。
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キリスト教と唯物主義(功利主義を含む)は、
世界を2分するであろう。
小なる道徳体系はいずれかの側に与して自己の存続を計るであろう。

武士道はいずれの側に与するであろうか。
それは何らまとまりたる教義もしくは公式の固守すべきものなきが故に、
全体としては身を消失に委ね、
桜花のごとく一陣の朝風に散るを厭わない。
しかしながら完全なる絶滅がその運命たることは決してありえない。

中略

武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、
しかしその力は地上より滅びないであろう。

その武勇および文徳の教訓は体系としては毀れるかもしれない。
しかしその光明その栄光は、これらの廃址を越えて長く活くるであろう。

その象徴(シンボル)とする花のごとく、
四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、
人類を祝福するであろう。

百世の後その習慣が葬られその名さえ忘るる日到るとも、
その香は、「路辺に立ちて眺めやれば」
遠き彼方の見えざる丘から風に漂うて来るであろう。

この時かのクェイカー詩人の美しき言葉に歌えるごとく。
 いずこよりか知らねど近き香気に、
 感謝の心を旅人は抱き、
 歩みを停め、帽を脱りて
 空よりの祝福を受ける。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
美しい文章ですね。
文章自体は矢内原忠雄さんのものですが、
思いは新渡戸稲造さんのものです。

最後は
クェーカー教徒としての新渡戸さんらしい結びをしています。

「武士道の将来」は、
現在ほぼ新渡戸さんの書かれたとおりの状態で、
今や武士道として認識することなく、
日本人の心の中に留まっているのです。

武士道が残っていてほしいかどうかという主観は別として、
客観的という視点はすごいものですね。
正解を導き出すのですから。


「鳥貴族」に行ってみましょう!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 ニッチのビジネスモデルの成功例を知っていただく。
 ユニークなジネスモデルは創業者でないとできないだろうことを
  想定していただく。
 
ねらい:
 何かの参考にしていただく。
 「鳥貴族」に行ってみましょう!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

10月24日の日経MJ紙に
「『しない』経営 鳥貴族飛ぶ」という1面特集がありました。

「鳥貴族」は
大阪中心で400店舗弱を展開する焼き鳥やチェーンです。
他と同じことはやらないという基本方針で
以下の「しない」が社是だそうです。

 消費増税後でも価格を上げない
 お通しを出さない (これはいい!)
 出店地が鬼門でも気にしない
 コストのかかる炭火は使わない
 輸入鶏肉は使わない
 新店オープン時以外の料金割引はしない
 業態は「鳥貴族」以外は作らない
 メニューの全体数は増やさない
 FCは社内独立以外は認めない
 同業他社は意識しない

よく考えていますね。
オーナ創業者らしいて卓見が示されています。
専門特化で深堀りです。
ニッチビジネスのお手本になります。

以下は山本忠司社長の言です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小売業も同じですが、
市場が成熟するほど顧客のニーズ、ウォンツは高まり、
総合的な売り方は通用しなくなります。

専門化した方が品質も上げやすいし、
ブランディングも明確にしやすい。
増税後も既存店売上高は上がっています。

過去の増税やリーマンショックもそうでした。
社内ではピンチではなくむしろチャンスになると
言っていました。

一時は安売り業態はダメと言われましたが、
私はいつの時代も低価格は強いと思っている。
ただ汎用品では勝てません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この最後の1行が重要です。
差異化できていてなおかつ安い必要があるということです。
「うまい」が「安い」に優先します。

お客様が望む価値目標の順番は
「早い、うまい、安い」なのです。

ぜひ皆様、鳥貴族のお店を探して行ってみませんか!!
 
 

小学校跡の老人施設が完成しました!ついでにギンナンのこと

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 素晴らしい資源有効活用の事例を知っていただく。
 ギンナンの生殖力のすさまじさを見ていただく。

ねらい:
 それだけのことです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小学校跡の2年越しの大工事がようやく終わって
品川区立「地域密着型多機能ホーム」がほぼ完成しました。

この施設は、以下の機能を持っています。

















これはグラウンドがあった裏側です。
    

外側にゆとりのある空間を作りました。

ここが表側の入り口です。少しさびしいですね。

写真をご覧ください。
コンクリートの建屋はそのまま残して、
外装・内装だけ新しくしたのです。

土地の所有者・発注者が同じ「区」だからできたことでしょうね。
素晴らしい省資源方式です。
こういう方式はほかでも採用したらいいですね。


校庭の銀杏の3本の樹も残りました。

今年のギンナンのシーズンには丁度工事の真っ最中で
このギンナンの所有権はあいまいな状態がありました。

今年は2週連続で台風に見舞われましたが、
その時に大量のギンナンが落ちましたので、
そのホンの一部八千個くらいをいただきました。

2回目の台風の時には「モウタクサン」状態でしたので
写真だけをとりました。























このギンナンはどうなったのか気になりましたので、
その後未練がましく見に行った時にはもう片付いていました。
どうなったのでしょうね。

その後、雨が2・3日続いた時にも大量に落ちました。
かわいそうなので10月23日に3・4千個いただいてあげました。

その後の加工工程が結構たいへんなのです。
1千個剥いて洗うのに1時間半くらいかかります。

でも、市価は1個5円くらいですから、
今年は5万円以上稼いだことになります。
ヤハリたいしたことではないですね。