2012年5月29日火曜日

「人はなぜ騙すのか」 これは面白い!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
「騙し」の定義・本質を知っていただく。
「騙す」ことの動物本能的意義を知っていただく。
「騙し」が昔話・寓話ネタとして多いことを知っていただく。

ねらい:
楽しい「騙し」の昔話を読んでいただく。
「騙し」に関心を深めて生活していただく。
「騙し」のテクニックに上達していただくことは
期待いたしませんが?
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注:
以下の文章では、デアル調は著書からの引用で、
デスマス調は私の意見です。
1字下げとかの表示の区別ができないのです。

2012年2月に出版された
「人はなぜ騙すのか」(山本幸司著)を読みました。
久々に楽しい本でした。

こういう研究をしておられる方もあるのだ、と感心しました。

古今東西の「騙し」の寓話・事例を、
その必然性等を含めて解説されています。
これが実に興味深いのです。
「なるほどそういうことか」と感心することばかりです。

ですが、まず「騙し」の定義から入りましょう。
R。バーンとA.ホワイテンは
動物の騙し行動について以下のように規定しているそうです。
人間の場合も同じでいけますね。

1.騙している個体の行動は、
その個体が通常行う行動の範囲の一部でなければならない。
騙しは別の何かと間違えられるはずの事柄または行動であり、
その正常な用法は十分受け入れられるものでなければならない。
なぜなら信じられるのは、
いかにも日頃起こりそうな出来事に見せかけられた
時に限られるからである。

2.騙しはたまに用いられるのでなければならない。
あまりしょっちゅう使われたら、
他の動物は騙しに気がつくようになり
注意を払わなくなるだろう。

3.騙し行動は、
他の個体が通常のやり方で解釈することによって
誤解しそうなやり方で行われなくてはならない。

4.騙し行動は、
騙す者がそれによって何か得をするのでなければならない。、

本書では、まず最高の「騙し」話をご披露されています。
それは「馬喰八十八」です。

この話は、岩手県遠野に伝わる昔話で
佐々木喜善氏が著した「聴耳草子」に載っているそうです。
本書では、A5版10ページに亘る全文を掲載しています。

そのあらすじは以下のとおりです。

馬喰の八十八は痩せ馬1疋しか持っていないが、
となりの長者どんは48疋も立派な馬を持っている。

その八十八が、長者どんを次から次と騙して
最後は長者どんに成り代わってその嬶ももらってしまう。

その間に、雨宿りをした家の旦那、その奥さんの間男、
茶屋の客数人、長者どんの下男多数、牛方などを
豪快に騙している。

著者の山本氏も書いておられるように、
その過程で何人もの人間や馬を殺してしまう
残酷な面も持っています。

そこで「なぜ騙すのか」(騙す目的は何か)という本題です。
こういうことのようです。

騙しは人間(前掲の動物も)が厳しい環境で
生きていくため、
あるいは自分に有利な状況を実現するために
必要な智恵である。

馬喰は、馬や牛の品定めをして値決めをする仕事です。
甘くはありません。
ある程度騙すこともしなければ生きていけないでしょう。

因みに、現在のシステム企画研修株式会社の所在地は、
馬喰町のすぐ近くです。
JR馬喰町から通勤している社員もおります。

この町名または駅名の読み方をご存じですか。
ばくろうちょうではなく、ばくろちょうなのです。
なぜそうなのか、どうしてこのあたりを馬喰町というのか
まだ調べていません。

しかし騙すことは、
他者の心理状態を読まなければならないので、
極めて高度な知的活動である。

かの柳田國男氏も、「騙し」の知性の高度性を評価している
のだそうです。

厳しい環境にいる者ほど、騙す能力が高くなる。
安住社会にいる人間は騙す能力も退化する。

それで、多くの日本人は騙す能力は強くないのでしょう。
国際社会では、
特に外交ではうまく立ち回っているとは言えませんね。
こういうことも書かれています。

他者に感情移入して他者の心を読み取ることを前提にして、
「騙し」と他人を愛する心・愛他主義と表裏一体の関係にある。

なるほど、そうなのですか。
「騙しは良いことではない」
という価値基準は一般的です。
しかしその必要性も認められるということから、
次のようなことになっている、とのことです。

多くの倫理や哲学は
内部社会の成員同士については
「狡智」(騙しの一部) を禁じる一方で
外部社会の人間に対して狡智を用いることは認める
という 二重基準を採用することとなるのである。

なるほど、そうなのですね。
一般社会では、
せいぜいのところ狡智の存在が是認されるのは
政治・外交・戦争、そして商業といった領域に限られてしまう。

騙しに関連する言葉が多く挙げられています。

機知、機転、臨機応変
狡智、智謀、詐略、策略、君子豹変、
欺瞞、悪だくみ、詐欺
抜け目ない、はしっこい、
狡い、ずる賢い、悪智恵、奸智

善悪・是非の判断は紙一重だということが分かります。

山本氏は、日本だけでなく、
世界の騙し話を研究し紹介しておられます。

狼少年のような騙しを諌める教訓的なものも
中にはありますが、
多くは馬喰八十八のように
「うまくいった」というストーリのようです。

皆様もご存じでしょうが、
「古屋の洩り」は、厳しい面はなく、
ただ笑える、うまくいった騙し話です。

「そういううまい話があるといいな」という大衆の心が
そのような「昔話」を生きながらえさせているのでしょう。

私は、山本氏の結論は以下の記述だと受取りました。

狡智を否定的に位置づける倫理観は、
原始の人間社会には存在せず、
それが社会に定着するまでには、
一定の時間が必要だった。

ギリシャ哲学でいえば、プラトンの時代
中国哲学でいえば、行使学派の時代が、
この種の倫理観が社会的に優勢となった時期だと想定される。

しかし、その結果、
人類は実践的で現実に対応する知性の働きを軽視することと
なったのだとすれば、失ったものは小さくないように思う。

一考に値するご意見ではないでしょうか。

蛇足:
本書では、重要な部分に狡智という言葉が
かなり使われています。
私の推定では、
山本氏はもともとは「騙し」を主テーマにしたのではなく、
「狡智」が主テーマだったのではないかと思われます。

出版社側が、狡智という言葉は一般受けしないので、
「騙し」という言葉を書名にしたのではないでしょうか。

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