2011年12月23日金曜日

「慰安婦」問題の虚構

12月18日韓国の李大統領が来日した際、
慰安婦問題の解決を求めました。

ご承知のように、韓国の日本大使館の前には
慰安婦を象徴する銅像が建てられました。

韓国内で、
再び「慰安婦問題」が騒乱テーマになっています。

日本側は、
1965年の日韓請求権・経済協力協定によって
両国間の賠償問題は
「完全かつ最終的に解決済み」
なので補償はできない、としています。

この慰安婦問題とは、
第2次世界大戦中に韓国の女性が
日本軍に「強制連行」されて
日本軍の慰安婦として性的行為を強要された、
として日本政府の賠償を求めている事案です。

ですが、
そもそもそのような「強制連行」などはなかった
というのが、我が畏友茂木弘道氏などの主張です。

以下、茂木氏の主張の要点を、
富士山マガジンサービス社発行「歴史通」
2012年1月号に基づいてご紹介します。

一部に私の解釈が入っています。

1.        慰安婦にするための韓国女性の強制連行はなかった。

 韓国女性の強制連行があったとされた(後述)
 済州島城山里の住民の現地取材記事
 (地元の済州新聞)では、こうなっている。
 「そんなことはない。
 250余の家しかない村落で
15人も徴用されたとすれば
どのくらいの大事件であるか
―――当時そんなことはなかった」

1945年(?)3月、
韓国人軍属の米国での公式発言はこうなっている。
「太平洋の戦場であった朝鮮人慰安婦は、
すべて志願者か両親に売られたものばかりである。
もしも女性たちを強制動員すれば、
老人も若者も朝鮮人は激怒して決起し、
どんな報復を受けようと日本人を殺すだろう」

日本あるいは米国における客観的な調査
(女性への聞き込み調査を含む)において、
慰安婦強制連行の証拠は出てきていない。

2.従軍慰安婦は、世界共通の「制度」であり、
そのこと自体はことさら非難されることではない。

 日本は当時、売春が認められていたので、
 軍が売春を運営していた。
米軍は国内法規で売春を認めていないので、
現地調達(現地で運営している売春を利用)している。

3.売春は対価を支払っての取引であり、
一方的な強制行為ではない。

 現に、韓国のある女性は2年6カ月ほど
 慰安婦として働き、
 26,145円貯金をしたのだという。
 当時の将校の月給が90円だったので
その10倍以上稼いでいたことになる。
れっきとした職業だったのである。
  
 貧困が支配していた社会では
 非常に「よい職業」だったのではないか。

4.慰安婦問題が発生したきっかけは、
日本人の煽動である。

 1970年の千田夏行氏の「従軍慰安婦」

韓国に出向いて元慰安婦の人々に訴訟を起こすことを
呼びかけた青柳敦子氏、高木弁護士

 極めつけは吉田清治氏の1983年刊行の
 「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」で、

 「私はこういう悪いことをやりました。
女子挺身隊200名の動員指令を受け、
済州島などで慰安婦狩りを行ったのです」
ということを述べた。

吉田氏の主張を大々的に報じた朝日新聞は、
その後、
吉田氏の主張は虚構だということが判明しても
謝罪記事を掲載していない。

5.1996年8月、当時の河野洋平官房長官が
慰安婦強制連行を認め謝罪した。

 その際、「広義の強制」があったとしている。
 「広義の強制」は意味不明である。
 この発言で「やはり、あったのか」
ということになってしまった。

河野氏はとんでもない無責任者である。

6.女子挺身隊の制度は、日本でも行われた(強制)
若い女性の勤労動員であり、慰安婦ではない。

なおかつ、朝鮮においては強制を避けていた。
この挺身隊への徴用が慰安婦狩りと結び付けられて
誤用・誤解された面もある。

7.この問題は虚構だという状況証拠がある。

慰安婦への強制連行があったとされだしたのは、
 その記憶も生々しいはずの戦後すぐではない。
 それはおかしいことではないか。
 前掲のウソに基づく煽りが原因だと想定される。

結論

1.        軍が管理する慰安婦の制度はあった。

2.        しかし強制連行はなかった
(少なくとも大きく騒がれるような規模では)。

3.        強制連行があったという誤解は、
 日本人自らが作りだした売名的虚構に基づいている。

4.「慰安婦はいけない」「挺身隊は不当である」
というような価値観が
この「誤解に基づく扇動」を大きくする要因になっている。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

コメント欄ですが、コメントできません。言われていることはそれぞれの立場での表現で実際にそこに居た人が正直にお話し頂くしか知る術は無いけど、そこは無理でしょう。
判断基準が無い。南極越冬隊のダッチXXを思い出しました。