2011年5月29日日曜日

日本人の成り立ち

うっとうしい日本の現状から、少し離れた話題です。

私は、日本人の一人として、
日本人の成り立ちには、以前から強い関心を持っていました。

多くの考古学者、民族学者、言語学者、文化人類学者が
研究をしていますが、
何といってもオーソリティは埴原和郎先生です。

埴原先生は何冊も著書を出しておられますが、
初めのころは、日本人の「起源論」でした。
その後、
1990年に出された著書は「日本人”新”起源論」でした。

それが、1995年には「日本人の成り立ち」となりました。

起源論というと、単一民族論で、
「日本人はどこからきたか」とか「どこから始まったか」
を解明するという感じがしますが、
「成り立ち」だと、「どういうプロセスででき上がったのか」
という前提となります。

現に、埴原先生の説はそういう内容です。
簡単にご紹介します。

最初に日本に来たのは
アフリカから出発して東アジアの先端までやってきた
狩猟採集民族です。
この人たちは、人種的には東南アジア系です。

この人たちが
約1万年続いた日本の縄文時代の主人公です。
北海道から沖縄まで全土に亘っています。

その後、紀元前後の弥生時代に
シベリアあるいは中国東北部、モンゴルの北アジア人が、
恐らく朝鮮半島経由で
九州近辺を中心に渡来しました。

彼らは農耕民族で、この農耕民族は
狩猟採集民族よりも生産性が高かったために、
短期間に日本中に浸透しました。

ということで、埴原先生はこの状況を称して
「2重構造モデル」と言っておられます。

骨相的には、縄文人はタヌキさん顔、
弥生人は狐さん顔、
血液型的には、縄文人はB型比率が高い、
弥生人はA型比率が高い、
その証拠に、弥生人の浸透が比較的薄い東日本では
西日本よりも,B型の比率が高い、
というようなことです。

私は、埴原先生の事実指摘に対して、
こういう解釈を付け加えています。

狩猟採集民族は、目利きが非常に重要です。
「どこに食料がありそうか」
という当りをつけてそちらに進んでいくのです。

この「目利き」はB型の得意とするところです。
B型の人間が主導して
ユーラシア大陸の東端までやってきたのです。

A型は、じっくり型で農耕に適しています。
農耕に優れているA型民族が、
弥生時代の渡来人なのです。

最近、
瀬川拓郎さんという旭川市博物館副館長をしておられる
考古学者が書かれた「アイヌの世界」を読んでみました。

私は、8年強、札幌にいたこともあり、
アイヌには特別の関心があります。

この本からの私としての成果の一つは、
他の学者の研究成果の紹介ですが、
DNAの分析結果から判明した以下の事実です。
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まずは、安達登氏の研究成果の紹介です。
北海道縄文人(アイヌの祖先)のDNAは
著しく多様性が少ない(=混血が少ない)。
そのDNAは大陸北東部先住民との共通性がある
(上野注:これは前掲の埴原説の
日本の原住民が東南アジア系というのと異なります)。

近世アイヌ人のDNAは多様性を持ち
北海道縄文人と大きく異なる。
なおかつ、このDNAには縄文人にも本土日本人にもない
ある型を含んでいる。

この型は、北アジア先住民に特有のものであり、
古代にサハリンから北海道に南下した
オホーツク人も持っている。
(注:近世アイヌ人は、縄文人とオホーツク人の混血です。
ただし、近世アイヌ人は現日本人とは別です)

以下は、百々幸雄氏の研究成果の紹介ですが、
頭骨の部分の形態の分析から、
近世アイヌ人と縄文人は近いが、
この二つは、
アフリカ群、ヨーロッパ群、東・東南アジア群の
いずれにも属さないで浮いている(人種の孤島)。

(日本人・沖縄人は、東・東南アジア群に属しています。
ということは、アイヌ人と沖縄人は別の群に属している、
ということです)
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本書には北海道を舞台とした、
アイヌ人と北方民族であるオホーツク人、
アイヌ人と本土日本人との
せめぎ合いの歴史が紹介されています。

そんなにダイナミックに民族の境界線が移動するものかと
非常に興味深かったのですが、
瀬川氏の研究の真髄は、
言葉や熊祭りの文化の形成史です。

本稿の結論です。

安達氏説だと、原日本人(少なくとも旧アイヌ人)は
東南アジア系ではなく、東北アジア系ということになります。

百々氏説だと、
アイヌ人と沖縄人は別の人種に属することになり、
埴原先生の、
「原日本人が北海道から沖縄まで住んでいた。
アイヌ人と沖縄人は同一種である」という説に
反することになります。

このように日本人の成り立ちについては、
いろいろな学説が出てきています。

これから、DNAによる分析が進んで、
明確な結論が出ることを期待したいものです。

2011年5月28日土曜日

柔よく剛を制す


5月24日の日経新聞に以下の記事が載っていました。

「ひょうたん島」 松 生き延びた
岩手県の蓬莱島
(ひょっこりひょうたん島のモデルなのだそうです)
に生えているアカマツが
奇跡的に津波を生き延び、復興のシンボルとして
注目を集めている。

中略

この島には、社と鳥居、灯台があった。
津波で鳥居と灯台は流され、陸と結ぶ堤防も
なくなったが、松は残った。

根元からポッキリ折れた灯台と残った松を含む
島全体の写真が載っていました。
高さ3~4メートルの2本の松は
比較的元気なのだそうです。

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同じく日経新聞ですが、
5月15日に「瓦礫の中の若木」というタイトルで
巌谷國士という方が
こういうことを書いておられました。
名文なのでそのままご紹介します。
―――――――――――――――――
3月18日のテレビの画面に、
三陸のとある港町の映像が映った。

大津波におそわれて壊滅し、
いちめんに瓦礫の堆積する住宅地のなかを、
ひとりの高齢の女性がさまよっている。
行方不明になった幼い孫娘の写真をもって。

つい1週間前まで家のあったところへ来たが、
建物は跡形もない。
すさまじい残骸のあいだに、
1本の細い若木が見つかった。

ひょろりと垂直にのびているその若木は梅で、
あの大津波にも根こそぎにされなかったばかりか
折られもせず、厳寒のさなかに、
新芽と小さな蕾さえつけているように見えた。

中略

梅の苗は孫娘の産まれた記念に植えられたのだという。
今はこの世にいない彼女の身代わりのようにして、
若木は育っている。

もしかするとその後、
瓦礫の中で花を咲かせたかもしれない。
――――――――――――――――――
感動的な内容です。
巌谷さんは仏文学者なのだそうです。
さすがですね。
―――――――――――――――――――――――――
次に、5月22日の日経新聞ですが、
以下のような記事が出ていました。

現在の高層ビルは、耐震・免震構造になっていて、
ビル自体は地震に耐えられるが、
中の梁や天井などが外れるとか落ちる
とかの被害がある。
これに対して対策を取ろうということで、
建築業界で研究を始めている。

ご存じのように高層ビルは、
しっかり壊れないように固く作るのではなく、
地震の揺れを受け流すように作る柔構造が、
現在の主流です。
柳の木の原理です。

「ビルが倒れない」という目的を追求してできたのが、
柔構造です。
現在の要求は「倒れないだけでなく、内装が壊れない」
となったのです。

その目的を達成するように研究が行われているのです。
おそらく内装自身も柔構造にするしかないでしょう。

この目的が達成されたらどうなるでしょうか。
「船酔いのように気持ちが悪くなる揺れをやめてくれ」
とでもなるのでしょうか。

――――――――――――――――――――――――
翻って、福島原発です。
5月25日の朝日新聞に、
「第1原子炉の冷却給水用の配管が
地震で破損していた疑いが出てきた」
ことが報道されていました。

これが事実とすればこういうことでしょう。
「原子炉容器は頑丈に作ったが、
そこに繋ぐ配管は、
原子炉側の揺れを吸収できる柔構造
になっていなかった」


以上を通じて言えることは、
昔から言われる「柔よく剛を制す」です。
以下は余談です。

これで思い出すのは、
空手と合気道の違いです。

空手の基本的な攻撃は突きとか蹴りです。
言わば剛です。

これに対して、合気道は相手が攻めてくる力を利用して
相手を制します。
柔と言えるでしょう。
ですから女性でもできるのです。

私が学生の頃、空手・柔道・剣道の道場(練習場)に
一人で黙々と合気道の練習をしている
「薄汚い」男がいました。

空手部の仲間は「邪魔な奴だ。おかしな奴だ」
という目で見ていました。
この男が東大の合気道部の創始者である
亀井静香氏でした。

彼の政治的なスタンスは、
柔ではなく攻め込む剛のようです。
お得意の柔の要素をもう少し取り入れたら
よいのではないでしょうか。

2011年5月21日土曜日

「括弧の意味論」

難しいことを言っている、
そんなことを研究している人がいる、
その目的は何だろう?と思って、
その本を読んでみました。

著者は木村大治京都大学助教授で、
専門は、アフリカ地域研究専攻だそうです。
ですから、専門外の研究書です。

こんなことが書いてありました。
括弧は、一般に括弧として文書作成で使用している
もの以外に、
傍点付け、下線付け、白抜き表示
なども広い意味の括弧である。

括弧には大きく分類すると2種類ある。
統語論的括弧と意味論的括弧である。
前者の例は
  小さな画用紙(はがきぐらいの大きさ)を用意する
  美しき「水車小屋の娘」
  引用を示すもの
    発言の区切り
  数学の括弧
後者の例は、
  「菅側近」と「小沢側近」ゴマすり“バカ”比べ
  「進歩的」と自称する人々

でもなんて難しい言葉を使うのでしょう。
統語論的括弧は、
「文章の構造を示す括弧」
「文章の部分の関係を示す括弧」
「構造表示括弧」

意味論的括弧は
「文章の一部に特別な意味づけをするための括弧」
「特別な意味を表すための括弧」
「意味づけ括弧」
とでも命名すればよいのに、と思いました。

でも研究書ですから、
実証的な調査もしていました。

週刊誌(朝日、文春、新潮)の年代別括弧の出現率は
1960年から漸増して、
今は10%くらいで横ばいのようです。
強調するための括弧であっても多すぎれば
うっとうしいですからね。
この%は、全文字中で括弧がどのくらいを占めるか、
です。10%と言ったら凄いですね。

もう一つの調査は、個別の著書の括弧出現率です。
芥川龍之介「河童」  2.6%
森鴎外「舞姫」    0.7%
夏目漱石「坊っちゃん」0.8%
夏目漱石」「こころ」 0.9%
 会話文の多少が影響しているだろうとのこと。
哲学書は概ね多く最高の例は6.5%でした。

そんな難しいことを知らなくても
文章は理解できる、何がよくなるのか、
と思います。
どうも「良くなる」ご利益はないようでした。
研究としては、
何かの意義が出てくるのでしょう。

おもしろかったのは、
 「――なーんちゃって」やカタカナ表記も、
統語論的括弧なのだそうです。
なるほど、ですね。

「なーんちゃって」は、最後にそれを言うことで
それまでのことを
お茶らけムードの括弧にくるんでしまうのです。

結論から言うと、私が期待する
「括弧の使い方はこうすればよい」
というガイドは得られませんでした。
最後に「使い過ぎはよくありません」
ということが一言だけ書いてありました。

推定するに、出版社側が
「どうすればよいかというガイドを入れてください」
と注文したのではないでしょうか。
「そのつもりで書いているのではない」
と著者が抵抗したでしょうが、
妥協して、最後にこの文言を付け加えたのでしょう。

久々に学術的な図書を読み、
ずいぶん違う世界だな、と思いました。

因みに私は常に、特にこのブログでは、
括弧はなるべく使わないようにしています。

皆さまに、
あまり「意味のない」文章を読んでいただいて、
申し訳ありませんでした。

トップの器, 才覚、能力

菅総理は、総理の器ではないと盛んに言われています。
東電の社長は、みじめだと言われています。
でも自民党のあの人もダメだな、とか、

何が足りないのでしょうか。
そこで、
成功するトップやマネジャーの条件を研究するために
ミンツバーグ教授の「マネジャーの実像」を
読んでみました。

この本は、29人のマネジャーに密着取材して
マネジャーの行動を把握・分析した大部の作品です。

マネジャーの日常行動の探求は、
それはそれで、たいへん興味深い人もいるでしょう。
文献としての価値があると思われます。

しかし、「ではマネジャーはどうしたらよいのか」
については、
どうも決め手に欠けるきらいがあります。

たとえば、
 「優れたマネジャーの条件」は 
 これまで多数挙げられてきた。
 たとえば、勇気、献身的姿勢、
 振り返りを重んじる姿勢、洞察力、
 人脈が豊かであること,思慮深さ、賢明さ、
 人々を鼓舞する力、不屈の精神、協働志向、愛嬌。
 だが、
 そんなすべての条件を満たす
 マネジャーなんかいない。
と述べています。

そのとおりだと思います。
置かれた環境条件、自らの個性から
十人十色のマネジメントスタイルがあるのでしょう。

それを言えば、
何も原理原則がないことになってしまいます。
偏っていても「こうすればよい!」と言われれば
100人中何人かには当てはまって
成果に結び付くと思われます。

そこで、ミンツバーグも、今回の分析の中から
いくつかの成功要因を挙げています。
  分析力
広い視野
協働力
積極行動
統合能力
です。

おそらく、このいずれかが全くダメで
成功しているマネジャーはいないでしょう。

これとは別に、
「現場から遊離してはいけない」と、
現場の重要性も説いています。
「事件は現場で起きている」のです。

他にもいろいろなことが述べられています。
何しろ430ページもの大作ですから。

でも、何か物足りません。
そこで私なりに考えてみました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【マネジメントの成功要因】

「マネジメントとは、
 自分に与えられたミッション(使命)を
 他の人の力によって実現することである」
というメアリ・パーカー・フォレット
(1920年代の経営学者)の説が
本書でも何回か紹介されています。

この定義は、
まさにマネジメントの本質を突いた定義であると
私も以前から感服していたものです。

この定義からすると、
マネジメントの成果であるところの
「自分に与えられたミッション(使命)を
他の人の力によって実現する」
という目的を達成するには
以下の3要素が必要であると考えられます。

(マネジメントのインプット)
情報を収集する
2.(マネジメントのプロセス)
的確な判断をする
3.(マネジメントのアウトプット)
他の人の協力を得る

【1】
まず、1番目の「情報を収集する」につきましては、
自分は直接現場にタッチしていませんので、
いかに現場の適切な情報を収集できるか、
がマネジメントができる前提条件です。
裸の王様にならないように、よい情報だけでなく
「悪い」情報も得られるようにする必要があります。

マネジャーの最大の課題は、
いかに現場から離れないでいられるか、ですから。
現場から離れて現場の情報も得られないと、
空中遊泳状態になってしまいます。

誰しもマネジャーになる前は、
どこかの現場で苦労して
現場感覚を持っているのです。

現場にいるときは、有視界飛行です。
これに対して、
マネジャーになると計器飛行となります。
かなり様相が異なります。
人により得手不得手があるでしょう。

できるマネジャーは、現場から離れても、
いかにして
現場からの情報を的確に取り入れられるか
を知っています。

―――――――――――――――寄り道
ダイエーの中内功さんは
いつまでもお店に顔を出しておられました。
有視界飛行です。

中内さんは現実のお店のレイアウト、店員の仕事ぶり、
店の陳列や品ぞろえに関心がありました。

消費者が本当に何を望みだしているのかについては
あまり関心が向かなかったようです。
消費者の望みは昔と変わっていない
と思いこんでいました。

それが、ダイエーの凋落原因となったのです。

最近出版された「総合スーパーの興亡」東洋経済新報社
では、ダイエーの「潰れてしまった」原因は、
人材配置を間違えたことだ、
その最たるものは自分が総合スーパー業を担当したこと
なっていました。
そうでしょうね。

中内さんは、
息子さんを計器飛行のマネジャーとして
育てようとされました。
しかし、成功しなかったようです。
有視界飛行の成功者が計器飛行をマスタすれば、
偉くなるのですが、
最初から計器飛行だけという道はないでしょう。

最後に着陸するときは有視界飛行です。
すべて計器飛行ができるなら、
パイロットは不要になります。
――――――――――――――――寄り道終り

いかに的確な情報を得るかにつきましては、
当ブログでも4月28日の
「なぜ「想定外」が起きてしまうのか」で
取り上げました。
たいへん大ざっぱな結論は、
聞く側の姿勢の問題だということでした。

【2】
2番目の「的確な判断をする」は
ミンツバーグの指摘だと、
「分析力」と「広い視野」が該当しそうです。
たくさんの情報に恵まれてもそれらを選別し
的確な判断をする能力を持っていなければ
「猫に小判」状態です。

判断が的確かどうかは、
その時点では分からないこともあります。
その場合は、結果で適否が判明するのです。

「浜岡原発を止めて防潮堤工事をせよ」は
的確な判断でしょうか。
別項「浜岡原発の運転中止要請は是か非か」を
ご参照ください。

【3】
3番目の「他の人の協力を得る」は
マネジメントの定義からして必須事項です。

その意味で対人関係能力のない人は、
マネジャーになってはいけないのです。
自分で専門職や職人としての任務を遂行する方が
その人が幸せでしょう。

マネジャーの対人関係能力で重要なのは、
他の人を鼓舞してその気にさせることです。
プロ野球の監督を見ていると、
そのスタイルは違いますが、
この能力のない方は成功していませんね。

これから先の議論は専門家にお任せします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【トップの成功要因】
次はトップの要件です。
それは、ビジョンとマネジメント力と強さ
の3本柱でしょう。

●マネジメント力
トップもマネジャーですから
当然マネジメント能力が優れていなければなりません。

●ビジョン
それに加えて、
自らがその組織の方向性を決めなければなりません。
それがビジョンです。

ワタミの創業者渡邉美樹さんは、
「地球上で一番たくさんのありがとうを集める」
そういう企業にするというビジョンをお持ちです。
これだと業種不問で通じます。
その目標を目指して日々改善の努力を行うのです。

松下幸之助さんは、
「社会生活の改善と向上を図り,
世界文化の進展に寄与する」
でした。高次元ですね。

ヤマト運輸は
「全国どこへでも翌日お届けする」でした。

日本電産は
世界と人々の(今日と)明日のために、
「世界初」「世界一」を追求する技術と製品で
快適な社会づくりに貢献をつづけます」です。
松下幸之助さんのに似ています。

このようなビジョンを社内外に提示して
その方向に突き進むのです。
ビジョンがなければ進む方向が分かりません。

その意味で、
菅総理は、日本をどういう国にしようとしているのか
ビジョンが示せていないのです。

「自分の保身だけを考えて、
妥協を続けているだけではないか!」
と言われてしまいます。

●強さ
当然ですが、トップたるものは、
精神・肉体とも強くなければ務まりません。
これが基礎条件です。

その点、菅総理は何とかなっているようです。
東電の清水社長は、途中休場してしまいました。
おそらく肉体よりも精神のダメージが
大きかったのではないでしょうか。

ということで、トップの要件は、
基礎に「強さ」があり、
「ビジョン」を示して
「マネジメント力」でそのビジョンを実現するのです。
ということのようですね。

以上を整理すると、こういう図柄です。

ここまで整理をして、
自分の振り返りになりました。