2011年2月9日水曜日

尖閣についてもっと知りましょう!その2

 私は、2010年12月12日の
 「尖閣諸島についてもっと知りましょう」というタイトルで
 明治20年代に古賀辰四郎氏が尖閣諸島を
 国から正式に貸与を受けて
 資源を活用した、旨をご紹介しました。

 今回、「中国はなぜ尖閣を取りに来るのか」(自由社)
 を読みました。
 尖閣問題を研究したい方には
 格好の情報源となります。

 本書には、(太平洋戦争の)戦前、
 尖閣諸島で最も大きな魚釣島には248人が居住していた、
 ことも記載されています。

 この中で、私の友人である茂木弘道氏
 (「史実を世界に発信する会」事務局長)が
 以下のような「史実」を紹介していました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 尖閣諸島は中国の福州からは420キロ
 台湾の基隆(キールン)から190キロ
 石垣島から170キロに散在する小島群である。

 昔は人跡未踏であった。
 しかし、琉球から中国あるいは安南・ルソン・ジャバ
 などの南の国々への航路の標識島として大事な島であり
 古地図に登場する。

 安政6年(1859年)美里間切(みさとまぎり)の役人である
 大城永保が、赤尾嶼、久場島、魚釣島の3島に接岸して
 地勢、植物、鳥類などを実地調査をした。 
 その結果を、
 沖縄県役人石沢兵吾が県令に報告をしている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 この後が、前回の古賀氏の活動につながっていくのです。
 前回の事実は1880年代ですが、
 今回の件はそこから20年ほど遡ったということです。

0 件のコメント: